見出し画像

現代アートの現状

小崎哲哉氏の「現代アートを殺さないために」を拝読した。炎上していた、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」を始め、近年の現代アートと、その問題に関して取り上げた本で、一介のアートラバーとしては、現状を知るうえでなかなか読み応えがあった。

できる限り本の内容を記したくはないので、詳細は省くが、私としてはアート側とアートが分からないという人たちと、もう少し緩やかな対話をしていく必要があるのでは、と感じた。

私自身は、現代アートも好きだ。ただ、そうした話を友人達にしても「分からない」「興味がない」とされることがほとんどである。

日本の教育的な問題もあるだろうし、現代アートもコンセプトを読まないとわからない作品も多いので、気持ちはわかる。

トリエンナーレや何かの美術館が大盛況になるニュースもきくが、アートを文脈から理解している人よりも、お祭り的な楽しさや、有名なものをみるミーハー感、あるいは映えを求めた来訪者の方が多いんじゃないかと思っている。(実際、私は現代アートの展覧会にいくが、混雑してるところはほとんど遭遇しない)

こうした状況下で、センセーショナルな作品や「表現の不自由展」のように誤解をもうむ作品らばかりを発信することは、ただの炎上材料になってしまうのではないか。

もちろん、この本に出てくるような、そうした人を不快にさせたり、どす黒いところを表現する作品も展示されるべきであると思っている。

ただ、そればかりが目立つと、結局世間の現代アートへ対する目はどんどん冷たくなっていってしまい、ますます規制が厳しくなるのではと危惧してしまった。

まずは、現代アートって面白いなと鑑賞できる人を増やすことをする時期なのかもしれない。トリエンナーレや際立つ展示などは、(不本意な人もいるだろうが)まずはそこを第一の目的に据え置くのはどうか。

実際、近年の芸術祭人気、くわえてインスタなどの映え文化のおかげで、アートに興味をもつ人が緩やかに増えてきていると思っている。もう20年くらい経てば、状況はまた変わってくるのではないか。

では、センセーショナルな作品らはどうするのか。これらの展示は、美術館等の展示側が作家を守る体勢をとり、かつ展示の仕方やキュレーションもより慎重にしていかないといけないのであろう。

例えば、先述した「表現の不自由展」の場合、本の中でも指摘があったが、政治的なものに偏りがあり、エログロ作品などは除外されていた。個人的には、さらに現在はお蔵入りとなっている戦時中のプロパガンダ絵画なんかもいれても良かったのではと思っている。

気楽な机上の意見だが、色んな角度での表現の不自由をとりあげていれば、ここまでの騒ぎにはならなかったのではと思ってニュースをみていた。

結局、全ての人がアートを好きなわけではないし、その人たちをアート界隈の人が見下すのも違うであろう。人にはそれぞれ、理解しうるものとしえないものもある。

声をあげて変わることもあるだろうが、今の現状を鑑みるに、今は互いに対話し、好き嫌いはさておき、理解しあうような展示をしていくのが良いのではないだろうか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?