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元社畜のおじさんが故郷を離れて都会で主夫になった理由1

職場での休憩中の暇つぶしのためnoteに登録して数年たつが、文章を投稿するのはこれが初めて。

元々ブログなどをやっていて文章を書くのは好きな方だったが、何か楽しい事があってそれをシェアしたいのが書く原動力だった。それが高じて縁があったローカル釣り雑誌に二回ほど寄稿したこともあったが、記事を書くための釣りが億劫になりその二回きりだった。で、文章に関しては編集や釣り仲間からもおおむね好評だった。

その自分が年を取るごとにその「たのしい事」自体が少なくなり、次第にtwitterやインスタに食い物やたまに釣れた魚などをポストする程度にここ十年はなっていた。

ここに来て何でまた長文を書く気になったかというと単純に時間が出来たから、それと主夫になって長時間の交代勤務から20年ぶりに解放されて気力体力が回復してきたのを実感して、この気持ちと自分が生きてきた道を誰も読まないにしても、誰もが読める場所に置いておきたくなった。

工業高校を出てすぐ就職した田んぼの真ん中にあるスマホの部品を作る工場で去年まで働いていた、仕事内容はライン工としての仕事と設備のメンテナンス。壊れたら修理するし作るものを替えるならそれに合わせて設備をそれに合わせて切り替える。そんなに嫌ではなかったがいかんせん拘束時間が長すぎた。朝八時半から定時は午後六時半、これでも長いと感じるのにほぼ毎日繋ぎ残業と呼ぶ次のシフトが来るまでの穴埋め時間が入る。夜勤の時はこれの逆で朝六時半から八時半まで繋ぎ残業が入る。四日働いて二日休むサイクルで土日祝日関係なし、夜勤明けの休みは実質一日半。逆は二日半だが夜勤のための時間調整のため酒や眠剤で無理やり眠らなければならない、一応盆暮れ正月GWは休めるけど半強制の休出が組まれる。こんな感じで20年以上働いていた。

転機があったのは昨年の秋、妻がその時働いていたポストより倍近い収入がある転職先を見つけてきた。当時のダブルインカム分を一人で稼げるというのだ、検討に値した。場所は東京で夫婦とも故郷は東北、家族会議の末に妻は転職、俺は退職、上の子は転校、当時生後10か月の保育所に預けていた息子は全国有数の待機児童激戦区でとりあえず待機児童になることになった。妻の説得に自分が折れた形ではあるが、正直なところ前の会社には夢も希望も感じられなかったのでそれよりは主夫業が人生の渡りに船だった。

そして幸運にも無認可ではあるがひと駅の距離に保育所が見つかり、首都圏某地区でウーバーイーツ配達員として働いている。始めるのもやめるのも自由、働いただけ報酬がもらえて働かなければ一円も入らない。たとえ急に保育所から一歳半の息子が熱を出したから迎えに来てくれと言われても、上司や同僚に頭を下げて半休を取る必要もない。こんなに自由でいいのかというくらい自由、もちろん一つの安定も保証もないけどそれは当然のこと。ウイークデイのランチタイムだけの稼働で月に11-12万円の収入になるので主夫としては必要十分で、今のところ何の文句もない。

以上が第二の人生を主夫として生きる俺視点での現在の暮らしの概要で、今後は要所要所を細かく掘り下げていこうと思う。次回は未定だけどまあ近いうちに。


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