南日本新聞コラム南点第13回「私も花になりたい」

 梅雨なので、あまり観葉植物の日光浴ができずにいる。心なしか元気がなさそうで悲しい。  
 その植物は、去年の12月に知り合いから貰った物だ。本屋でたまたま私の本を見つけたと連絡をくれ、20年ぶりに会った際にくれたのだった。
「悪い気を清めてくれるから」
 私の小説や取材記事を読んだという彼は、私のメンタルを心配してくれていた。貰った時は正直、「いらないのに」と思ったものの、コンパクトな物だったので窓辺の棚の上に置いていた。それまで観葉植物に何の興味もなかったのに、家にあるとつい見るようになった。

 今の部屋で暮らし始めて9年になる。ずっと一人で、人が訪ねて来た事もほとんどない。寂しさを癒してくれるのは本だけだった。そんな部屋に自分以外に生き物がいるというのは新鮮で良いものだと思う。
 そういえば去年の夏も、少しの間だけこの感覚を味わった事があった。8月半ば、枕カバーの上を2ミリの羽虫がちょこちょこと這っていたので、私はそれを指先に乗せ窓から外に出そうとした。ところが窓を開けた瞬間、まるでサウナのような熱気が室内に流れ込んできて、そんな中に彼を出すのは可哀想だと思い部屋で飼う事にした。

 容器にティッシュを敷きその上に彼を置くと、容器の端に餌としてパン屑を少しと、その脇に水滴を垂らしておいた。いくら小さな虫とはいえ、部屋に自分以外に生き物がいるというのは嬉しいものだった。
 ところが2日後、彼は死んだ。容器の隅でコテンと逆さまになって。そのわずか2ミリの友達が死んだ事が、私は思いのほか悲しかった。彼の亡骸を近所の花壇に埋めて毎朝手を合わせていたのに、数日後「花咲かせ隊」に掘り返されていた。悲しかったけど、ある日見たらそこに綺麗な花が咲いていた。友達が増えたと思い嬉しくなった。明日もまた生きようと思えた。

 誰かの生きた証が、他の誰かの生きる力になる事がある。自分もいつかそうなれたらいいと思う。

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