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3.11から11年に寄せて

小雪がちらつく中、目の前には見渡す限りの瓦礫の山が広がっていた。潮の匂いがする中、一面に広がる泥、柱、壁、屋根瓦。破壊の限りを尽くしたような光景の一隅に、ランドセルやぬいぐるみ、子供用のスニーカーが不自然なほど綺麗な状態でたたずんでおり、そこに人々の営みがあったことを示していた。ただただ、持ち主が無事であることを願うことしかできなかった。

震災後ほどなく、福島県南相馬市の沿岸部を訪れた時に観た光景。私は一生忘れることができないだろう。

NHKが3.11に合わせて実施している、こころフォト〜忘れない〜という企画がある。震災で身内を失った人たちが、亡くなった家族に対して綴った手紙を紹介する趣旨だ。その特集番組、こころフォトスペシャルが先日放映された。視聴中、ただただ涙が止まらなかった。時間はかかったが、少し心の整理ができたので、自分なりに文章を書き残しておこう思う。

警察庁の9日の発表によると、震災による被害者数は1万5900人、行方不明者は2523人になったという。あまりにも莫大な数に感覚が麻痺するが、この数字には一人ひとりの人生があり、そして家族がいた。親、配偶者、子供。天災という、人の力ではどうにもならない圧倒的な暴力によって最愛の人たちを突如奪われ、残された人生の長さとはいかほどばかりだろうか。

年齢もあるのだろうが、自分の場合、どうしても親の立場で物事を考えてしまう。子供が生まれる前は考えられなかったことであるが、目の前に美味しいものがあればまず子供に食べさせてやりたいと思うし、あらゆることにおいて自分は最優先ではなくなった。仮に自分が死ぬことで子供が助かるのならば、喜んで命を差し出せるだろう。

震災で子供をを失った人の多くも、きっとそうだったはずだ。亡くなった息子の誕生日に仏壇にケーキを供え、「生きている間になにもしなかった」と悔やむ元教師の男性。「私ばっか大人になってごめんね」と弟に対して謝る姉。いまはもういない3人の子どもたちの朝ごはんを作る母親。番組に登場したり、手紙を寄せたりした彼らはどんな気持ちで11年間を過ごしてきたのだろうか。

死んだ子の年を数えるなどということわざがあるように、医療が発達する前の多死多産だった時代、子供の死とは特別なものではなかった。日本でも、死んだ子の供養をするための建築物や儀式が至る所に残っているのがその名残だ。しかし医療が発達した現代において、子供との突然の別れを想定している親は多くない。そして、残された側の人間にとって、寿命は残酷なほど長い。当たり前の日常が突然奪われてからのこれまでの11年間、そしてこれから残された時間。その時を思うだけで、胸が苦しくなる。

こころフォト〜忘れない〜では、失った家族への手紙が毎年更新されている。子供に対しての手紙では、誰もが成長した姿を見たかったと綴られている。乳児が小学校高学年に、小学一年生が高校生に、高校生が大人に。本来あったはずのかけがえのない時間と将来を理不尽に奪われながらも、なお前を向こうとする遺族の方々の強さにただ打ちのめされ、頭が下がる。

我々にできることは多くない。災害を語り継ぎ、有事に備える。そして今日という平凡な一日を迎えることができるのが奇跡であるという事実を忘れず、家族に感謝の想いと愛情を恥ずかしがらずに伝えて生きる。凡庸な私にはそれくらいしか思いつかない。世界から災害がなくなることはなく、戦争や事故が今日我が身に降りかからないという保証はない。

考えがまとまったとは言い難いが、それでもあの惨禍を目の当たりにし、今ものうのうと生きている一人の人間として、番組や手紙から受け取ったことを文字に残しておくことに意味があると思いたい。

日本人の大半がそうであるように、私は特定の信仰を持っておらず、神も信じていない。愛する我が子を親から取り上げる様な理不尽を許容する神なら、いない方がマシだとすら思う。それでも、死後に天国という場所があり、震災で亡くなった方々の魂がいつか残された家族と再会できることを心から祈るばかりだ。

(トップ画像はToru Yamaguchi, tsunami carried away everything

こころフォトを追っている、NHK取材班による本。取材を受ける遺族の方々はもちろんだが、彼らと向き合うというのも決して楽な仕事ではないはずで、公共放送の担い手としての使命感に敬意を表したい。普段の生活で震災のことを思い出すことも少なくなったが、忘れないために個人的にこの時期に毎年読んでいる。本リンクによるアフィリエイトの収益はすべて震災遺児への支援を行っているあしなが育英会へ寄付します。


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