某俳優オタクが読む!太宰治『斜陽』【感想】
こんにちは、ねこふらです。
いきなり本題で申し訳ないんですけど『鳩のごとく 蛇のごとく 斜陽』っていう映画が秋に公開するんですよ。
まあ奥野くんが出るからこういう話してるんですけど。
太宰治の名作『斜陽』を映画化するという本作。
(令和の世になって映画として世に送り出されるとか太宰も思ってもいないだろうに。)
奥野くんは主人公の弟・直治(なおじ)役。
……の予習をしようということで教養が全くない非文学少女一般俳優オタクがあの太宰治の斜陽を読みました。
太宰治を原作履修で読むってどんな贅沢だよ。
その感想やら思ったことやらを綴って参るのですが、本記事はネタバレを含みます。
…凄いな斜陽のネタバレっていうワードの概念が。
名作故に書店で購入せずとも図書館などで見つけやすいので気軽に読んでみてください。まあ図書館何個か行ってちょうど貸出中だったので私は思い切って買ってきちゃったんですけど。
新潮文庫で374円(税込)でした。安い。
それでは、感想です。
…斜陽の感想記事ってなんか…なんだろう…変。
圧倒的太宰を小馬鹿にしてる感ある。
普通にオタクが見る作品と同列に扱ってる所がね。
いや馬鹿にはしてないんだけどね。
教養は大事だと痛感
これは感想っていうより思わされたことっていう側面が大きいんだけど、文学は思ったよりも教養が大事。
太平洋戦争直後の物語ということで、とにかく単語がわからないので注解で一々確認するのが大変。
その上文学なので、ぎっちりと紙いっぱいに敷き詰められた文字をしっかりと読んでいかないといけない。普通の小説よりも情報処理能力を要求される。
なお私は現在世間にも知名度がある程度の大学に通っているが、そこそこの頭があるので大丈夫なんてことはない。そもそも受験勉強は一般教養ではなく大学に受かるための方法を学ぶだけなので、大学に受かったからといって教養があるわけでもなく。
教養、大事。
教養があるとエンタメの楽しみ方の幅が広がる。
ただ綺麗に、儚く、貴族らしく。恋と革命と。酒と麻薬と。
ざっくりさらうと太平洋戦争終戦直後、ある没落貴族が朽ちていく様を描いた作品。…という認識であっているでしょうか。
ただ美しく、綺麗に、貴族としてのプライドを持ったまま果てるお母さま。麻薬と酒に溺れてついに自殺を決める直治。革命を起こし、男に捨てられ、残された子と二人生きていく決意をするかず子。そして六年という時を経て変わり果てた上原。
なんとなくそんな風に解釈しています。
お母さまは最後までひたすらに美しく。死に顔が一際綺麗という程に。まさに最期の貴族と言わんばかりに華麗で。
恋に革命を起こそうと自ら動いたものの、変わり果てた上原に愛情はなくなり、それでも「あなたの子を生みたい」と想い続け革命に成功したかず子。
そして対照的に人生に終止符を告げた直治。
綺麗ですね。
お母さまの死がトリガーとなり物語が大きく動いていく感じ。実際、作品の世界にぐっと引き込まれたのは後半に入ってからでした。
直治の結末と彼の本当の姿と。
かず子が革命に成功したその夜に自殺した直治。
その死に様すら、「らくに死ねる薬」を使い、綺麗さを最後まで追求し、貴族としてのプライドを忘れることがなかった直治。
泣いた。
ちょうど恋無駄の関西圏1話放送日だったのでツイッターの方に動画が上がるも「ちょっと…待って…」と嗚咽混じりで言うオタクの姿といったらもう。(読後に見た。可愛かった)
進む/止まるの止まるの方。
かず子は進む方。直治は止まる方。
《僕は、貴族です。》
遺書の最後のこのフレーズで、涙腺が決壊してしまいました。
どこにいたって、貴族と思われる。俗人と関わると、違いが際立つ。俗世間に、染まれない。
麻薬中毒になったのも、文学に凝り出したのも、東京で遊び呆けていたのも、俗になりたかったから。俗に染まらないと友と対等に渡り合えないと思っていたから。
でも。麻薬に溺れても文学をやってみても東京で女と遊んでも自分は俗人になれなかった。貴族がどうしても残ってしまっていた。その一方で本当に俗に染まってしまったところもあり、家に戻ることもできなかった。
本文中の直治の話し方は貴族ながらもどこか汚らしかった。遺書の中の直治の話し方は綺麗だった。彼も貴族だった。彼は貴族であることを誇りに思い、貴族を愛していた。きっと母親をママと呼んだのも、彼もなりの家族への愛だったのだと思う。しかし俗に染まった彼の言葉の中には「クソ」などという、汚らしい言葉も混じっていた。
直治はこのまま生きていたら自分は貴族ではなくなると判断した。どちらにせよこのままではつらい思いをし続けることは目に見えていた。直治は貴族のまま死にたかった。だからこのタイミングで自殺をした。
少し話が変わりますが、最初に奥野くんのツイートで直治という登場人物を知った時、直治に抱いた印象は「美しい麻薬中毒の青年」でした。
何らかのきっかけで麻薬中毒になり、麻薬を求めて中毒症状に苛まれながら死にゆくのかな、と思っていました。
その何らかのきっかけもよく薬物乱用防止教室とかで出てくる「先輩に誘われて〜」みたいなやつかと思っていました。
が、実際にはどうあがいても解決のしようがない問題を解決したように、そう見せかけるために麻薬に、アヘンに、酒に手を出した。酒に限っては上原の勧めを受けてだったが、アヘンを誤魔化すためだけに酒を飲んだ。酒を飲んで楽しいことなどなかった。中毒症状はあまり関係はなかった。
本来の華麗な自分を隠し、偽りの自分を演じ続けたが、その本心はやはり華麗でありたかった。そして華麗で居続けたいという本心に正直であるために、死を選ぶような美学を持つ人間…と私は思いました。めちゃくちゃ個人的な解釈ですが。
直治、美しい人物だと思います。美しいまま死のうとしたところも含めて。ただ、彼にも救いが訪れてくれたら。そう思うと、少し悲しくなります。
※奥野くんのオタクすぎて直治にどうしても感情移入した読み方になってしまいました。直治の声はイマジナリー奥野くんを召喚して読んでいました。小説ジオウと六人の嘘つきな大学生(原作)の経験が活かされまくっていますね。
解説、考察を読んでみる
ここまでは純度100%の自分の感想でしたが、ここからは解説や考察を踏まえた上での感想になります。名作文学であるが故に、自分一人の意見では少々心もとありません。巻末についている解説やネットに転がっている考察を見て他の解釈を知ったり、背景を知ったりして考えを補強、また補完していこうと思います。
(死ぬほど関係ないですが、補完の作業自体は特撮作品を見終えた時にもよくやります。本編を見終えたタイミングでニコ百だったりピクシブ百科事典で該当作品の項目を閲覧します。編集者の偏見が強いこともあるので考察はあまり参考にしていませんが、わかりにくかった出来事を補完できることが多いので頻繁にやります)
貴族が没落する要因
本作の舞台は前述したように終戦直後。
GHQによる改革で、庶民の生活が豊かになり始めていく。
しかしその影響を悪く受けたのは戦前華族とカテゴライズされた作中及び本記事で呼称している貴族。
イメージしやすいのは財閥解体でしょうか。(まあアレは実は不十分なんだけど)
農地改革。
政府が地主から土地を買い取り、小作人に安く売る。義務教育を受けていれば誰でも知っているでしょう。その煽りを受けるのはもちろん貴族。
太宰の実家である津島家も、その影響を受けたようでした。
太宰は妻子を連れて津軽の生家、津島家に疎開、終戦を迎えた。GHQの農地改革が発表され、大地主だった津島家も人や物の出入りがなくなり、がらんとした様子を見た太宰は「『桜の園』だ。『桜の園』そのままではないか。」と繰り返し言っていた[3]。
『桜の園』とは、小説にも出てくるアントン・チェーホフによる戯曲。太宰は自身の生家の状況と桜の園の展開を重ね、そこから斜陽の着想を得ていきます。
作中にもありましたが人がみな平等になろうとすることは上流階級のものを引きずり下ろすことであり。庶民が幸せになろうとすれば貴族はそれまでの生活を保てなくなる。汗水流して働くなど、貴族からしたら耐えられない。結果、滅びていくしかない。
そういった時代背景がかず子一家のような没落貴族を多いに生んだのですね。なるほど。(ただ自分で納得しただけ。説明下手で申し訳ない)
巻末解説を読んで
単行本の巻末についている解説を読んで。
まず、お母さま、かず子、直治、上原はそれぞれが太宰を投影した存在であること。解説と一緒に太宰自身の解説も収録されているのですが、お母さま、直治、上原あたりが顕著に太宰を投影していると感じました。かず子が難しいところですね。
解説曰く「生彩がないようにみえる」。他三人に比べて抽象的、非現実的であるが故に太宰の投影感が薄まって見えるみたいです。
それからもう一つ。先ほどかず子と直治は対照的である、と書きましたが実際には対照的というよりももっと適切な言葉がありそうだということ。
タイトルの斜陽。これはどうやら前述した『桜の園』の《まるで夕方の太陽のように》の部分に影響を受けていると推測されます。解説にも完全な繋がりがあったとまで明記されていないのでこれはあくまで考察です。
斜陽は明るい。真昼の太陽とちがって、そこには陰影がありあるいは陰影の気配があって、それが一層明るさをきわ立たせる。
斜陽は明るいが、確かにそこには影をはらむという。
また、解説にはこうも書かれています。
明るさが暗さを喚起し、暗さが明るさを喚起する世界、四人の人物が交錯しあうときに生じる微妙な光と影の世界である。
つまり私が対照的と感じたものは対照的ではなく、二人がどちらとも持っている光と影の光の部分が強調されたのがかず子で、影の部分が強調されたのが直治であった、と。あくまで強調されているのみで、かず子にも影が、直治にも光があるということ。
自分で書いていても難しいので遠目から見たら違うように見えるけど実はそうじゃないのかもしれない、くらいに捉えてくれると助かります。
考察を何本か読んで
待って、かず子と直治が好きになった人たちって夫婦だったの!?
というのがとある考察を読んで思ったこと。
直治の師匠=上原=かず子の好きだった人、は当たり前のごとく読めていたのですが、上原は作家であり直治が恋していた人の旦那は洋画家だと遺書に書いてあったのでてっきり別人物かと思っていました。
でも今思えばかず子が上原の家を訪ねた際に出てきた奥さんの特徴は直治の恋しい人の特徴と一致しているし、なにより最後のかず子の手紙で上原の奥さんに直治とある女の間に生まれた子として抱かせてやってくれと懇願したのは直治の叶わなかった一途な想いを昇華させてやるためだった。
洋画家と偽ったのはもし良かったら察してくれという程度の直治の気持ちでもあろうし、そう偽った方が上原の性質がわかりやすいという単なる作劇上の都合でしょうか。そう思うと果てしなく太宰すげえってなる。
なるほど、ここでも綺麗にかず子と直治の違いが浮きでてくるわけなんですね…!恋を成就させたかず子と内に秘め続けたまま朽ちた直治、ってことか…。
こうして考えてみると「恋と革命」がはっきり見えてくる。
革命とは、ただこの世を変えるという意味だけでなくかず子自身にも確実に変化を起こしたもの。それまでは手紙を送って返事を待つだけだったかず子を主体的に動かしたもの。
作中にも出てきましたが『女大学』という江戸時代の書籍があるのですが。高校で日本史を勉強していた方ならご存じかもしれませんが、いわゆる良妻賢母であれと説くものですね。女は男に従順に。幼い頃は父親に、嫁入りしたら旦那に、旦那が死んだら息子にととにかく男に従順であるように説きます。そんな男尊女卑の姿勢は確か戦前までにも残っていたはずで、それが変わっていくのが戦後の改革…で合っているでしょうか。(数ヶ月前なのでうろ覚えです)
もちろん不倫も御法度に近いもので(今でもどうかとは思いますが)、推測になるのですが当時も女性から不倫しにいくのはイメージ悪かったのかなあ、とか。女は待ち続けるのがセオリー、みたいな時代なのでかず子の行動は相当チャレンジングなことだったんじゃないでしょうか。
逆に、といったら違うのは先ほどの通りですが直治は自ら動くことができなかった。それがこれからの怒濤の時代を生き抜いていける人間と出来ない人間の違いだったのかもしれません。
総括
そんなわけで『斜陽』の感想でした。
こんな機会がなかったら読むこと自体なかったかもしれないと思うときっかけを与えてくれた推しに感謝ですね。ありがとう。
あとこういう文学は若いうちに読んでおいた方がいいなと思ったので、気になり次第他の文学も読んでみようと思います。
そして秋に推しが直治を演じてくれるんですね。奥野くんなりの解釈の、美しい直治が見られると思うと楽しみでしかたありません。
最初に聞いたイメージとは異なるものの、直治は確かに美しかった。
悩み、苦しみ、もがいてそれでも報われず、一歩を踏み出すことなく貴族として、死んでいく。
そんな直治がたまらなく美しく思える。
そういう風に感じました。
それでは秋に逢いましょう、直治、奥野くん。
(…まあ直治はともかく奥野くんに関しては今ドラマやってるからすぐに見れるしるろ剣の舞台あるから見ようと思えば御本尊見れるんですけどね…)
[2022.11.4追記]見てきました
というわけで公開日です。お久しぶりの記事執筆です。
学校お休みだったため初日の初回に見に行けましたー。
奥野くんが出る作品大体泣いてるので私の「泣いた」はあてにしないでください。
3回くらい泣きました。涙腺ガバガバすぎない!?
悲しいのニュアンスで直治の感情が荒ぶってるところ大体涙目で見てました。直治の手紙のところは案の定大泣きして涙ポロポロ出て止まらなくて化粧しなきゃよかったかもって思うくらいに涙が出ました。後で確認したら化粧崩壊してなくて安心しました。元が薄化粧なのもある。
お母さまが危篤状態の電話が入った時、ものすごい勢いで受話器取って、めっちゃ不安そうにして、弱音吐いて、すぐ戻って…の一連の動きでお母さまが本当に好きなのね、ってなった。
それから、手紙で泣かないの無理だよ。
麻の着物のくだりとかもううわあってなっちゃって…辛くてさ…
あんなに幸せそうな顔して…
態度がアレなので本当にわかりにくいけど、それでも直治は家族を愛していたし本当に貴族なので…ウワアア……
それと、この作品を鑑賞する前に絶対に見てはいけない映画第1位は劇場版仮面ライダージオウOver Quartzerです。我が魔王がいるからとかそういう問題ではなく鑑賞途中に変なものが頭をよぎります。しかも2回も。熱心なジオウオタクは気をつけてほしいです。
あとビジュアル的な話をしておくとヒゲとか軍服とか学生服とか和装とか洋装とかとにかく色々楽しめる……っていうのが強み。今振り返ってみると多くね!?ってなった。
直治から離れて話をすると、上原が血を吐いてその血をかず子が飲みこむところ。あそこだけは生理的に受け付けなかった。血を吐いてるところの生々しさがすごくて、「う、うわあ〜〜(引き)」となってしまった。あの接吻、血の味なんだよな〜とか思うとなんとも言えない感覚が残る。生臭い。
だけどそれを自分の推しの血が飲める状況だと仮定したら?案外飲む人なんて何人か出てくるんじゃないかと思った。というか自分は「あ、飲むかも」ってなった。推しというか好きな人の一部だと思ったらなんか取り込んでみたいと思ってしまう。かず子もそういう気持ちだったのかな。
他には…そうだな…。原作を読んでいた時に頭の中に描いていた情景とほぼ一致していた、とか。庶民なので本郷の家のサイズ感のイメージを完全にミスっていたけど。想像以上にデカかった。
あとぶっちゃけるといろいろすっ飛ばしてるので展開が早い!ってなった。夕顔日誌の部分はちょっと気になってたんだけどな。原作読んでないとついてけなさそう。
そんなところかな。閲覧ありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?