声に生命が宿るとき

みなさんこんばんは。(´・ω・`)
唐突ですが、さっき行ってきたお店で色々と思うところがあったので、思ったことを書き留めておきます。


以前、レジで会計をした後お礼を言うようにしている、と記事にしたことがあります。

会計後はタイミングを見て、なるべく挨拶してお辞儀するようにしているのですが、最近本当に機械のような人を相手にすることが増えてきました。

最近、どこいってもセルフレジが当たり前みたいになってきましたが、そのせいでしょうか?

その店ではセルフレジだったんですが、自分がお釣りを受け取っている時に、その店員はさっさと別の場所に行ってしまいました。
(常時レジ係という訳ではない店員)

最後にお礼をいって頭を下げるつもりだったのにできなかった…。
なんだかモヤモヤして帰宅したのですが、別の店でも同じような対応する人いる人結構いるんですよね。

相手の人は、客を機械か何かだと思っているんでしょうか。まぁ、確かに客もかなりそういう人が多いから、もう作業になってるんでしょうね。
客も、店員も、お互いが機械みたいになってる。


棒読みの声、機械的な声って、何故か妙に響かない感じってないでしょうか?
いくらしっかり喋っているようでも、聴こえているようで聴こえないような。右の耳から左の耳に抜けていくだけのような。
そんな感じがあります。

こないだ、ある製品の解説動画を見ていたんですが、フリーアナウンサーと開発者の人との対談形式のものでした。
でも、アナウンサーの人はしっかり喋っているのですが、まったく耳に残らない声でした。
一言一句正確に原稿を読み上げているという感じで、ぼーっと見ていたら何をしゃべっていたか聞き取れなくて何度かリプレイして動画を見ていました。
一方、開発者の人はポイントポイントで言うべき内容は原稿を見ているんですが、それはあくまで要点だけであって、あとは自分がどういう風な思いで開発したか、どう感じているかを、決してうまくないしゃべりながらも自分の声で語っていたのでスッと入ってくる実感がありました。

なんか、非常に対照的で興味深いな…と思いながら見ていたのです。
以前にも書いたかもしれませんが、機械的な動作で決まりきったことを言うレジの人にちょっと話しかけてみた時は、表情も変わったようになって声色も変わって機械から人間に変わったような印象を受けたことがありますが、その時の事を思い出しました。


以前、ツイッターで炎上していた動画で、コンビニ店員にブチギレる外国人客の動画がありました。
私は、この客のように店員に怒鳴るということはしませんが、この外国人の言いたいことはとてもよく分かりました。
コンビニ店員が、明らかに年配と分かる人にいちいち年齢確認するアレですね。まぁ、怒鳴り散らすのは流石にどうかなと思いますが。


で、何と言っていたか具体的には覚えていませんが、外国人は「自分の頭で考えてよ、あなた人間でしょ、」みたいなようなことを言っていた氣がします。

これに対して、マニュアルで決まっているんだからしょうがないという反論の声もありました。マニュアル通りにやらないとダメだ!と私にかみついてきた人もいますが、果たしてそうでしょうか。

自分は、同じ系列のコンビニ店員で年齢確認のところを自分で押している店員を知っています。
レジで並んでると見たことあるかもしれませんが、高齢者の人とかってこうやって自分で押すことに慣れてなかったりして、ボタンを押さない人もいたりします。

店員が勝手にやるのはマニュアル的にはダメなんでしょうが、明らかに未成年じゃない高齢者にわざわざ押してもらうのもどうなんだろうと思ったりします。
こういうのは実は結構不快に思う人も多いのできっと過去になんかあったのかなぁと思ってみてました。

タバコを番号で言わずに銘柄でいう人も結構います。
そういう人は、全くお構いなしに銘柄だけで言います。逆に、そういう人のボタンを押してだの、番号で言えだの言ってると、逆にトラブルになることもあります。

自分としては、マニュアルは主旨だけ抑えてあとは臨機応変に対応すればいいんじゃないの、なんて思う訳です。
その方が、結果的にお互いトラブルは起きません。

先ほどのマニュアル通りの人は、そのマニュアルがなぜあるのかという本質的な理由を考えません。
ルールはルール思考。

ちなみに、ルールをないがしろにしろと言っているわけではありません。が、ルールを厳守することで余計なトラブルを生むようになるとなれば本末転倒。
「~~~とあいさつする」というルールも、ルールの本質的な目的はお客さんにいい氣分で買い物をしてもったり、コミュニケーションを円滑にしたり、温かい雰囲氣を出すとか、そういうのが目的なのだから。
要だけ抑えれば、あとは自分の声で対応して欲しいと自分なんかは思う訳です。


ちなみに、いいな!と思った店員やアナウンサーもいます。
その時歴史が動いた、というNHKの番組をやっていた松平アナなんかは喋りがうまいなと思いました。
ほとんど原稿を見ずに、要点だけ抑えて自分の声で考えながら喋っているような感じがします。そういう人の喋りってスッと引き込まれます。

言うべきポイントを押さえて、考えながらしゃべる(伝える)って結構難しいと思います。自分が好きな分野ならできそうでも、アナウンサーとなると色んな内容を読むことが求められます。

そういう意味では、深い教養や頭の回転の速さが重要になってくるのではないでしょうか。教養といっても、さすがに限度はあるので自分お教養を元に、関連付けて語れる力とでも言いますか。
まぁ、でもそれはあくまで「よりよく伝えようとする為」であって、自分なんかは例え多少つたなくても本人が自身の頭で考えて誠意もってやってくれたらそれは感じ取れるのでいいかなと思ったりします。

レジなんかでも、すっごいつたない感じで「💦」を出しながら対応してる店員でも、根がまじめでいい人そうな人ってわかりますよね。声のかけ方とか、ちょっとしたしぐさの一つ一つで。
そんな人が失敗したからって怒るつもりもないし、むしろ応援したくなります。

相手に「伝える」って結構単純なようで難しいよな…と思います。
こういう時、相手はどう感じるだろうか?っていう視点も必要だったり、結構な想像力が必要ですよね。


書いていて思いましたが、絵の世界もものづくりも同じだなーと感じました。
(この辺は長くなるのでまた別の機会に)

全てのサービスがそうかもしれませんね。
案外、大事な事ってのは形を変えてはいても同じなのかもしれません。

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