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ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます④

 冬休み明けのがらんとした放課後。樹々がモノクロの線画のようです。ピラミッド屋根の「鷹の台ホール」、奥のサークルボックスからはときおり鈍い管楽器の音が響いてきます。1991年が明けたばかりの、東京のはずれにある美術大学。Uちゃんと私はぬるいタンメンを食べ終えたところで、彼女のレンガ色のムートンジャケットとデニムのパンタロンが冬空に映えてよく似合っていました。

 前日の夜アメリカがイラクを空爆し、戦争が始まったのです。Uちゃんは「ミサイル撃つときのコンピューター映像見た?」と聞きましたが、私がぽかんとしているうちに「学食で流れている中島みゆきはけっこう好き」と有線の話に切り替わっていました。ふたりとも少し浮かれているのは、今からUちゃんの家に行くからです。

 彼女は誰にも告げず、廃墟寸前の給水塔に三脚とカメラを持ってよじ登ると、70年代に海外のどこかで、白人少女を写したかのようなセルフポートレートを撮ってこれるガッツの持ち主でしたが、自転車で立ち漕ぎしたらコンビニのクリームグラタンが袋の中でひっくり返っていたと落胆して電話してくる可愛いところもあります。物のカタチや質感への感度が高く、日々独自の分析や研究を怠らず「いつか自分の血を白人の血と入れ替えて白人になりたい」と、自らの外見について明確なビジョンも持っています。白人とアジア人の胴体を真横に切ると、白人の切断面は正円に近く、アジア人は楕円形になるとのこと。私はその情熱に敬意を表していました。

 Uちゃんの下宿は、国分寺の川向こう、暗い木造アパートの1階。入り口のブロック塀に立てかけてある大きなリヤカーが、夜中に徘徊してモノ拾いするための専用機です。隣の空き部屋の鍵もなぜか開いていて、彼女の服はそこにも。ドアの前の大きな木、根元には染め物用の大きなタライ。四畳半の台所、六畳の和室、風呂、トイレ。彼女にはガラスや貝殻を集める習慣があったので、浴室は大小さまざまな貝殻やきれいなガラス瓶であふれ、どこで体を洗うのか謎でした。台所の芋焼酎は一升瓶。重そうな古いトースターや冷蔵庫は夜中調達したのかもしれません。古い食器棚が、大切な撮影機材の収納場所。彼女はプロ用のカメラと最近手に入れたHi8のビデオカメラを持っていて、そういった投資は惜しみません。でも廃墟となった食堂で大量に発見された白いプラスチックのコーヒーカップに、牛乳を混ぜて冷やすだけのインスタントなミルクプリンが作り置きしてあり、甘いものが欲しい時はいつもそれが冷蔵庫から出てくるのです。

 和室の床は、工事現場で拾った厚手の合板が敷き詰められ、壁の上から下まで覆うように垂れ下がったベルベットの遮光カーテンが天井を高く感じさせます。剥き出しの蛍光灯にかかった赤いセロファンは暗室作業のため。カーテンで目隠しされた押し入れに、本、雑誌の切り抜き、画材、ミシン、布の切れ端、羽、マネキン、標本、ガラス瓶、服の山、その他あらゆるものが詰め込まれ、収まり切らずはみ出ています。が、主な家具は電子ピアノとアンティークのカウチと古いガラスの陳列棚だけ。棚には厳選された大きな貝殻が並び、ピアノの上は孔雀の羽のついた濃い緑色のフェルト帽、スエードのブーツ、オーディオ用のヘッドフォン。カウチソファはお祖父さんから譲り受けたもので、そこでムートンの毛皮に包まれて眠っているということでした。

 ダイニングに小さなガスストーブが置かれているだけなので、部屋の中はピリピリと寒くて空っぽ。古い黒電話が床の上に置かれていて、くぐもったような音を立て鳴ります。ソファの向こうに、ボーリング場跡地で拾ったマーブル模様の球が唐突に転がっていたので、つい手を伸ばしたら、慌てたように「触るな」と言うUちゃん。大きなゴキブリをそれで殺したからで、近くに殺したゴキブリも放置されていました。食器用洗剤をかけたあとトドメを刺したようです。「んーなんかめんどくさかった」とのこと。

 彼女が浪人中の5年間で築きあげた部屋は、海辺の崩れかけた土産物屋のようでもありましたが、私には何かのインスタレーションのように思えました。

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