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SHIPで感じたこと

2022年1月から約一年間
ヘルスケアSHIPの運営に関わらせて頂きました。

SHIPというコミュニティに触れてみて感じたことを残しておきたいと思います。

①タスクを担うことで安心して関わることができる場合もある。

私は2021年からゆるりとSHIPに参加していたけれど、コミュニティってどう関わっていいのかいまいち分かりませんでした。一年くらい特に関係性が深まる人も居らず、もったいないなぁと思っていました。

2022年から運営のお手伝いを始めて、何か少しだけタスクを分けていただくことで関わりしろが出来ました。

これは、「タスクをこなさないと居てはいけない」ということではなく、あくまで私の場合、タスクが介入してくれる方が、人と人の距離感にドギマギすることなく関わることができた、という話です。

巷でよくいう「doではなくbeで関わろう」みたいなのはbeで居られる人はいいのだけど、いきなりそんな何もせず関わるなんて、、、私には無理です。

たいしたタスクはしていないのだけど、微々たる自己効力感があるだけで、そこに居やすくなったりするのではないでしょうか。

鎧とまではいかなくても
着ぐるみくらい、着ててもいいじゃないですか。

微々たるタスクをなくしてしまうことは、着ぐるみをひっぺがしてすっぽんぽんにされるような気がするのです。それでは安心して居られません。

beで居られるツールとしてのdoは残していてもいいと思うのです。


②コミュニティゆえの良さと難しさがある。

ゆるく繋がれるのはいいことだけど
人と人同士、相性はもちろん様々。

何も悪くないはずなのに、なんで不快なんだろうかと自分が不思議でならないことがあります。

生真面目に考えすぎちゃって
疲れることもあります。

おそらく今までの人間関係は、仲の良い友達か、プロジェクトベースでしか人と関わってこなかったから、気にならなかったんだと思います。

たまに、「そういう風に捉えるんだ」「そういう大人な対応があるんだ」とコミュニティ内のやりとりから垣間見える時があって、これがコミュニティに属する醍醐味のひとつだと感じています。


③自分の中に色んな分人がいることを少し受け入れられた。

今までは、しんどい分人の居場所が無かったのだと思います。

頑張っている自分でありたいと無意識に思っていて、しんどいことを押し殺して無視する癖が付いていて、自分にとって不快なことを感じとって避けることが出来ていなかったです。

SHIPに入って1年半くらい経った頃、しんどいことを相談してみることが出来るようになりました。

今でも相談の仕方や頼り方が分からなくて、上手くいかないなと悩むことばかりです。

気づいたらしんどさが爆発しているか、懺悔しているかのどちらか。

相談するのも大変。聞く側も大変。

それでも、「誰かに相談している」という事実は
「自分の中のしんどい分人を知覚している」ということであり、それはそれは、すごいことなのです。

感覚を鈍麻させて過ごすことは、サバイバルしなければいけない環境では助けになります。

私もその方が楽だと思っていたし、それが当たり前だと思っていました。

しんどいことを知覚すると、余計にしんどいのでは?と思っていました。

しかし自分にとって何が不快で、何が心地いいのかが感じられないことは恐ろしいことです。

身の危険を感じても、すべて自分が悪いのだと片付けてしまいかねません。

何か意志決定する際にも外的な条件だけでは決め兼ねることも多々あります。自己の感覚がないと意思決定の尺度が限られます。

そうして実際、物事を前に進められない困った状態になることが何度かあって

自分の感覚をもっと感じられるようになる必要があるなと思ったのです。

鈍麻した感覚を再度知覚する過程は苦しいものです。

でも、それはコミュニティという直接利害関係のない所にいてはじめて相談が出来て、やっとみえてきたフェーズなのだと思います。

自分の感覚がもっと分かるようになると
自分の中にもっと色んな分人が顔を出すのでしょうか。

その時、私は色んな分人に優劣を付けず受け入れられるといいなと思います。


さいごに

考えすぎだからでしょうか、今も関係性を上手く深められないなと感じています。

ただ、SHIPからとても恩恵を受けていて、ここでの関係性を諦めたくないなと思っています。

だからなんだって話ですが。
そう感じたことの備忘録を残すことに
なにか意味がある気がします。

おしまい。

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