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太陽の塔、内部観覧に行ってきた!

そうだ、万博へ行こう!

昨日、思いつきで、万博記念公園へ行った。

昼食の外出だけで疲れてしまったので、一度帰宅して昼寝した。
公園は17時閉園だと、起きてから知って、パニックになった。
後悔したが、とりあえず急いで向かった。

到着してから、なんと、太陽の塔の内部観覧の、当日券があると知った。
いそいそと受付へ向かうと、なんと入れた。
とんでもなく高揚した。


最初の通路

最初の通路には、計画段階のスケッチ画が展示してあった。
「地上へ向かうにつれて広くすることで、根を張るイメージ」などと書いてあり、なるほど、と思う。
かなり、我々の知っている太陽の塔通りのイラストが描いてあって、「相当、スケッチをそのままに実現した(できた)んだなあ」と感心した。その実現力と、強い意志に。
あと「絵、めちゃくちゃ上手いな」と思った。


地底の太陽

1階には「地底の太陽」の復元と、当時地下に展示してあったという神具や仮面たち、それからイメージ映像と、迫力の音楽、神秘的な照明。
とても惹き込まれた。息を呑む迫力。とんでもなかった。
「地底の太陽」には、ものすごい力があった。心を奪われ、目を奪われた。
とても気に入った。「すごい」と思った。
1階のみ撮影OKだったのでとりあえず撮ったけど、正直「写真なんかどうでもいい」と思った。
2時間でも3時間でも、1日中でも、見ていられる、見ていたい、ここにいたい、ずっとここにいたい、離れたくない、離れがたい、離れられない、と思った。
足がすくむ迫力と魅力、魔力、呪力のようなものを感じた。
すごい。
すごい、すごい、すごい。

そこに言葉は不要で、
言葉なんかなかった。
ただ地底の太陽と、私だけが、そこにあった。


生命の樹

その先には、「生命の樹」の展示があった。
1階ではアメーバ等が見れる。
2階、3階と階段を上っていくにつれて、生物の進化を見ていくことができる。
詳しくはないのだけれど、魚類、恐竜、ナウマンゾウ、チンパンジー、クロマニョン人、のような順番で、樹の根元から枝へ向けて進化を見れる。

まず1階の時点で私は圧倒された。
アメーバや三葉虫のなんと生き生きとしていることよ!
「目の当たりにした」という表現がまさしく正しい。
私は、アメーバをこの目で見た。
三葉虫が蠢くさまを、呼吸する皮膚を本当に、見た。

私は私の人間の皮を脱ぎ捨てて、透明な何かになって、遥か昔へとタイムスリップを果たしたのだ。
あのとき、私は空気だった。風だった。土だった。私は三葉虫とともに、同じ時代に在ったのだ。

魚類やら恐竜やらも、私は見た。
たしかに、この目で見たのだ。
万博開催時にこれらを造形した人よ。
そして50年の時を経たのちにこれらを復元した人よ。
私はこの感動の涙と、胸にたぎる熱い情熱をもって、彼らに対する心からの畏敬の念を表したい。
彼らの目には何が映るのか。
彼らの手には何が宿ったのか。
その眼前には悠然たる生命の血脈が流れ、
その手には神々の祝福が宿っていたとしか思えない。
あの造形は、神業だ。
タイムスリップして、気泡になって、アメーバをその目で見てきた人にしか、あんなものは作れない。

だって、恐竜がこちらを見ていた。
そして、その目は生きていた。
たしかにその目は生きていて――“生き生きとしている”とか“リアル”とかではなく、その目はたしかに息をしていたのだ、こちらに何かを語りかけていた――私は「喰われる」と思ったのだ。
ゾウの毛並も生きていて、助け合うテナガザルはたしかにその生命の危機に怯えていて、クロマニョン人はその両腕を大きく挙げて、獲物に立ち向かい、人類の誉れを抱き、生きている喜びを、叫んでいた。


身体の反応

興奮と言うべきか。
高揚と言うべきか。
恐怖と言うべきか。
何度も鳥肌が立ち、目には涙が浮かび、足は竦んで、身体が震えた。
息を呑み、呼吸は浅くなり、心臓はどくどくと激しく脈打って――私は何を見たのだろう
ただ息することもままならなくて、絶対に目を離せなくて――怖かったのかもしれない。
圧倒されていた。声を上げて泣き出したかった。
現実の象徴たる足元の階段を何とか踏みしめることで、私は何とか脳みその中にくだらない現実の居座る場所を確保し、現実の身体を成立させることに、必死になっていた
その気になれば私の魂は、展示の示すこの生命の血脈に深く共鳴し、もっていかれ、その流れの中に身を委ねて、帰ってこれなくなることだって、できただろう。

精神状態や体調によっては気が狂っていたかもしれない。
周囲の客たちやスタッフの声が、何とか私を支えていた。
私の心身は、今にもそのバランスを崩してしまいそうだった。

頂上のクロマニョン人を見て、太陽の塔の右腕の内部を見て、左腕の内部を見たら、展示は終わり。
私は、青い階段を下っていった。
現実へ少しずつ帰っていくためには、ちょうどいいと感じられる色だった。


帰りの階段

帰りの階段の途中には、当時の制作の様子や岡本太郎の言葉、そしてこのたびの復元の様子などがパネルによって、解説とともに展示されていた。
驚くべきことに、これほどの展示を計画し製作したというのに、岡本がプロデューサーに就任したのは開催の2年8ヶ月前だという。
とても、人間の仕事とは思えない。
彼は、芸術の神か何かなのかもしれない。
「就任したとき、展示の中核に、人間であることの誇り、生きている喜びを爆発させたいと思った」という岡本談には驚かされた。
解説の言葉の中にも「『進歩が未来を開く』というコンセプトの万博において、根源に立ち返り、生きている喜びを表現した岡本の太陽の塔は、万博史において『たった1つの異物』なのです」といった説明があったが、たしかにその通りなのだろうと思う。
万博において、生きている喜びを表現しようと真っ先に思える人が、他に誰かいるだろうか。
才能とかセンスとか、そういうことでは、もはや、ない。
岡本太郎が好きだと言う人が多い理由が、痛いほど分かった。
私はよう言わんけど。


心境の変化

生きようとか死にたいとか、そういうことを思わなくなったな、という気持ちになった。

何を作っても、私も君も、岡本太郎以後じゃないか。
だから恥ずかしいし、何でも作れるなあ、なんて気持ちにもなった。
しょせん、岡本太郎以後。君も私も。

何を思っても、しょせん、クロマニョン人以後。

私も君も、元を正せば、皆アメーバ。

フィギュアとステッカーと本を買った。
定期的に通いたいと思う。


生命の樹


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