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刹那的な甘い時間を消費して。

クズ男ってどうしてこんなに居心地がいいんだろう。
手っ取り早く甘やかしてくれて、程々に私に興味が無い。でも辛い時にはちゃーんとそばに居てくれる。ズルいよな。

私の好みのクズ男に出会う時、大概初対面で脳内に警報音が鳴り響く。
近づくな。
しんどくなるよ。

  ちなみに、横顔Eラインが綺麗で
  黒縁オーバルかスクエアのメガネが似合って
  前髪重めで
  目標もって仕事してる
  何かしらお洋服にこだわりがあって
  知的好奇心旺盛でおしゃべり好きな
ちょっと女慣れした
10個上くらいのお兄さんが好きです
(欲張るな)

でもいつだって警報を超える好奇心に私は飲み込まれてしまう。

気づいた頃には沼の中。
仕事に追われて自己嫌悪に陥ってるとき、何にも言ってないのに「おしゃべりする?ちょっとだけ会おう?」なんて声をかけてくる。
自己否定の言葉を重ねた私に「俺はでもそういうところも素敵だと思うよ?」
いや、私もちょろいのよ。すがっちゃう。
甘えても許される相手だと思ったらさ、
遊ばれてるな、
沼らせに来てるなこいつ、
なんて気が付きながらすがっちゃうんだもん。

溺れて苦しんで一人酒を浴びて泣き騒ぎぐのに、
相手のことが好きで好きで仕方なく無くなってる自分が楽しい。
どんな相手でも、
己が狂うほどに他人に気持ちを持っていかれてて大好きが溢れてる時間って、とてつもないほど充実してると思わない?

次から次へとクズな男に真っ直ぐな恋をしたり
メンヘラぶちかましたりして盲目的に過ごしてきた私だけれど、
今過去一番に沼ってる。
一番近づきたくなかった人に。


男女の友情が成り立つかどうかって永遠に議題に上りうるテーマだと思うんだけども、私は成立すると思ってて。
大事にしたいと思う友情ってもはや性別を超えていて、どんなに離れても3年に1回ぐらいふと会いたい、そんな関係をずっと続けていたいと思える相手。

そこに男女の色を持ち込んだ瞬間に終わりのある関係に変わってしまう。だから絶対に切り分けている。
と思うと、ある意味これまで彼氏やセフレになってきた人たちは心のどこかでいつか離れてしまってもいいと認識してきた人達なんだろう。
もちろんはちゃめちゃに大好きな人ばかりだけれども。

でもね、困ったことにね、今沼ってる人は私が一番切りたくなかった人なの。一番苦しかった時に手を差し伸べるでもなく程よい距離で見守ってくれていた人。仕事ができてどこまでも尊敬できるけど適度に阿呆な人。
できることなら、自分の人生の転機の度にふと会って一杯ぐらい飲みながらちょっとお話ししたいと思ってしまった人。

その人と過ごす時間の甘さは特上で後悔はしてない。けどそれ以上に大事なはずの崩したくない関係性があってね。
あまりにも手離したくない。
この人は離れてしまったら二度と戻っては来ないだろう。

多分こんなにめちゃくちゃに価値観の合う刺激のある人、本来なら大事な友達として繋ぎ止めておきたいのに、関係性の始まりがこんなのだったせいでもうプラトニックな友人には戻れないし、このかたちで繋がってるから結婚されたら本当に手放すしか無くなることへの喪失感。辛すぎる。


わすれじの 行く末までは難ければ
今日を限りの命ともがな

どうかこのまま、この先いつか離れてしまうなら、今の偽りの優しさでいいから、その甘さに包まれたまま時を止めてしまいたい。


嬉しすぎて空飛べそうです。焼きプリンを食べます。