珈琲

珈琲関係①

 昼下がりの喫茶店は、いつにも増して静かだ。逆を言えば、一番暇な時間とも言える。私が営む喫茶店は都内の大学の近くにあり、古臭い佇まいが好きだという一部の学生たちには憩いの場として使われている。

 しかし、今の時間帯は授業を受けている人が多いので、店にやって来るお客様は学生ではなく30代後半から60代前半までの男女が多い。楽しく談笑するお客様もいれば、基静かに過ごす人もいる。どのお客様も私がコーヒーを出した後は各々が自分の時間に浸ってくれる。そしてそれを見守る私。これが私の日課であり、至福の時間とも言えるのだが、今日はとある女子大生が来ていた。
「ねえ、マスター話し聞いてます?」
「えっと…何の話しでしたっけ」
「だから、自分の趣味を話す時、どこからが『趣味です』って言い張ってもいいレベルだと思いますか?」
そう質問をしてきたのはこの喫茶店の常連客で、名前は青柳由美さんという。今年の春で3年生になった。お喋りが大好きで今日も質問責めに捕まった私は呆れながら、だがそれがバレないよう、なんとなく回答を考えていた。
「そうですね…自分が好きだと思えれば趣味なんじゃないですか?」
適当に答えてみたのだが、彼女はそれに納得したのか、うんうんと頷いている。
「なるほど。じゃあマスターの趣味は何ですか?」
「うーん、何でしょう。パッと思いつかないのですが…」
私は左斜め上を向いて趣味と言えるものを思い浮かべてみたが、本当に思いつかない。というか、うちの喫茶店の天井はこんなに汚かったっけ?
「すぐ思いつく人は羨ましい」
「え?」
「大抵の人はそう思うんじゃないかなって」
「そう…ですね」
彼女は注文したブラックコーヒーを手に取り一口。息を整えてから話しの続きを始めた。
「だいたい、その人の個性や好みを知りたいなって思った時、趣味を聞いてくる人ってあまり好きじゃないんですよね」
自分で質問しておいて何を言っているんだと心の中で思ったが、その一言が出ないようグッと堪えて彼女に質問をした。
「じゃあ、どういう質問ならいいですか?」
「例えば、子どものころの夢は何でしたか?とか」
「そんな質問でいいんですか?」
「私なら、ケーキ屋さんになりたかったですって答えます」
「どうしてケーキ屋さんに?」
「だって女の子っぽいじゃないですか」
「えっ、そんな理由ですか?」
「ダメですか?」
「いや、ダメってことはないですけど」
「何ならいいんですかね。男子ウケしそうな夢とかがいいのかな」
「ずいぶんと軽い夢ですね。じゃあ…看護師とかどうですか?」
「あー、嫌ですね」
「そんな清々しく言わなくても。そもそも嫌とかあるんですか?」
「お前に看護師になれるほどの包容力とか、優しさとかないだろってバカにされるので嫌です。あと、白衣の天使ってあるじゃないですか、あれ嘘ですよ」
「えっ、嘘なんですか?」
「友達に聞いたんですけど、相当キツいらしいですよ。研修中とか先輩の看護師が厳しいし、看護師になっても1年目とかこき使われるって」
「そうなんですね」
「女は怖いですから」
「前々から思ってたんですけど、青柳さん、だいぶ拗らせてますよね。以前はもっと女性的というか、男女平等っていう考えの人だったはずなのに」
「それはそれ、これはこれですよ」
「ただの言い訳では…」
「頭ではわかっているのに、心は素直なんですよ。ほら、私って嘘つくの下手だし、態度にはすぐ出ちゃうし」
「いや、知らないですよ」
「知ってるでしょ~、私がここで話しをしているのを何回も見てきたんだから」
「まあ、そうですけど。でも素直すぎる生き方も疲れるだけですよ?」
「いいの、私が生きたいようにしたいから。それでねマスター、この前行った洋服屋さんでね」
「はあ…」

 彼女はこの店の雰囲気が好きで常連客として来ているわけではない。話しを聞いてもらいたいがためにやってくるのだ。私を暇人とでも思っているのだろうか。一番暇な時間とはいえ、やることが少ないだけであって、この仕事だって仕込みやら何やらでそれなりに忙しいのだ。
「マスター、今日はどうしちゃったんですか?誰か別の人と話してるみたい」
「私もいろいろと考えてるんです」
「何をですか?」
「青柳さんには関係のないことです」
「ふーん、いつもコーヒーのことしか考えないマスターが別の考え事するなんて珍しい」
「失敬な。だいたい、青柳さんは話し始めると相手の意見や気持ちを汲み取ろうとしない…」
「それでこの前、洋服屋さん巡りをしたんですよ」
「また人の話しを無視して…。女性は好きですよね、見て回るの」
「これもいい、あれもいいって選ぶ服が多いんですよ」
「贅沢な悩みじゃないですか。でもよく言いますよね、女性の方は。それで悩んだ挙句、結局何も買わないみたいな」
この一言がまずかったのか、一瞬だけムッとした表情をして睨んできた彼女に対し、私は思わず怯んでしまった。
「いや、その、すみません」
「話し続けますよ?」
「はい…」
「私、親友の誕生日プレゼントを選ぶのとか好きなんですよ。何時間もかけて選ぶのが大好きというか、どんなものをプレゼントしたら喜んでもらえるかなって考えるのが好きで」
「友達思いでいいですね」
「個人的な感覚なんですけど、自分の服を選んでる時もそれに近いというか。自分自身に対して、ご褒美をあげる感じがあって楽しくて」
「そうですか」
「マスターはどうなんですか。ファッションとかは…うーん、見るからにこだわる人じゃなさそうだな~」
「その言い方もどうかと思いますけど、悔しいことにこだわりはないですね」
「休みの日とか出かけないんですか?」
「自宅にいるか、あとは他の喫茶店やコーヒーショップを巡るとか。最近はすごいんですよ、豆の選別とかこだわっていて、機械で淹れる珈琲も伊達じゃないんですよ」
「マスターは好きなことで仕事ができていて羨ましいです」
「いやいや、私は運が良かったんです」
「そんなことないですよ、こうして喫茶店を続けてるわけですし」
「お客様がこの喫茶店に通ってくれるから続けられる。私はただコーヒーを出すだけで」
「私の話しを聞く係」
「それだけに関しては、別でお金をもらいたいくらいです」
「時給いくらがいいですか?」
「700円とか」
「高いですね。それに、か弱い女の子からお金取るなんてサイテー」
「いや話し振ってきたのそっちじゃないですか。それに、青柳さんの話しは聞く側を圧倒させるというか」
「感動して?」
「疲弊するんです」
「やだ、私そんなことしてたの」
「常習犯です」
「だいたい、マスターが受け身だから悪いんですよ。たまには反撃してください」
「論点すり替えないでくださいよ」
「あー、わかった。可愛い女子大生を目の前にして浮かれてるんじゃないですか?」
「それ自分で言います?」
「いいですかマスター。若さは武器ですから」
「おっしゃる通りです」
実際、2周り以上も年が離れているし、納得せざるを得なかった。お互いが自然な感じで「うんうん」と頷いたところで、彼女はコーヒーを一口。
「あっ」
コーヒーを飲み終えた彼女が何か思いついたかのように、顔をパッとあげて私を見つめている。
「どうかしました?」
「趣味」
「はい?」
「ありました、趣味」
「なんですか」
「人間観察です!」
しばらくの間、目線だけのやりとりが続いた。女性で「趣味が人間観察です」と自分から言う人にロクな人はいない。偏見で申し訳ないが、私の経験則に間違いはない。
「ねえ、マスター」
構ってほしそうに声をかけてきて彼女は顔をキラキラと輝かせている。関わっちゃまずいオーラが溢れ出ている。私がここで「あ」とか「い」とか言ったら会話のキャッチボール、いや爆弾が投下されるだけだ。会話なんてあったもんじゃない。
「わかりました、今日は帰ります」
「そうですか」
「戦略的撤退です」
「次は、ぜひとも平和的にいきたいものです」
「私のことは、可愛い侵略者って言ってください。愛と平和がモットーですから」
「侵略に可愛いも可愛くないもあったものじゃないと思うのですが…」
「それに惚れられても困りますよ?」
「安心してください、それはないです」
「そう。じゃあお会計を」
「324円になります」
「じゃあ1000円で」
時計を見ると、気づけば午後3時。そろそろ学生たちがやってくる頃だ。できることなら、さっさと彼女を追い出したい。
「じゃあまたねー」
「またのご来店おまちしております。ありがとうございました」

 扉につけられたベルが鳴り、「カランカラン」と喫茶店特有の音が店内に響き渡る。彼女は嬉しそうな笑顔を浮かべ、こちらに手を振りながら店をあとにした。

                              ②に続く

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