『モノノケ記』 - 2話

スカートの裾を強く握りしめる彼女。店内に流れるゆったりとしたジャズミュージック。店内に並べられたテーブルは10個ほどで、彼女が座っているテーブル以外はソファー、数人の客がくつろいでいる。白を貴重とした内装は見るたびに血で赤く染まっていく。それを遮るかのように、視界に自分の下半身のみを覗かせた。彼女の視界、上の方でテーブルを叩く指が見えた。顔をだんだんと上げ、視野を広げるとそこには謎の男子生徒。

謎の男子生徒「...い....おい。蘇我、大丈夫か?」
彼女の顔を覗くことはせず、あくまでも彼女が顔をあげるのを待つ彼。
彼の声を拾うだけで精一杯の彼女は、顔をあげるまでに時間を要した。

蘇我「...。」
放心したように何も言えない彼女。彼は彼女の胸の上に佇む赤いリボンを数秒見つめて、彼女を一瞥した。相変わらず、彼女の目は暗く光が宿っていなかった。

謎の男子生徒「モノノケ。体育館を襲ったやつら...あれはモノノケだ。」

蘇我「モ、ノノ、ケ...」
彼が発した言葉を1字1字口から発することで、うわの空で呆けている脳神経を無意識に活性化させようとする彼女。しかし、全く頭に入らない。

コーヒーを一口飲み、テーブルにコップを置く彼。横にある2袋の砂糖と1個のミルクは封を切られている。彼女の頼んだ紅茶は、未だポットに入ったままだ。

謎の男子生徒「そう。モノノケ。人を喰う、人ならざるモノだ。」
蘇我「....。」
一言も発しない彼女を気にせず、話を続ける彼。

謎の男子生徒「やつらは、”俺”たちの敵だ。俺はやつらを狩っている。」
蘇我「...。」

謎の男子生徒「学校にやつらが来て人を殺したのは初めてだ。最近、やつらが学校付近で活動しているのは知っていたが。まさか、入学式の式典中に来るとは思わなかった。」
蘇我「...。」

謎の男子生徒「やつらは、無駄に人を喰うことはしない。常にターゲットを決めている。」
蘇我「...ターゲット?」
謎の男子生徒「そうだ。個体によって性格も強さも違うが、厄介なのはモノノケにも知能があることだ。計画を練り、ターゲットを確実に喰らいに来る。それが、やつらのやり方だ。」
蘇我「...その、今回....今回の、ターゲットってー」
謎の男子生徒「99.9%、お前だ。」
食い気味に答える彼。目を見開き、動揺する彼女。それが自分かもしれないという予想を心のどこかでしていたかのように、数秒後には落ち着きを取り戻した。

蘇我「なぜ...私なんですか?」
心当たりがない彼女は純粋に彼に質問した。

謎の男子生徒「わからない。」
蘇我「分からない?じゃあなんで99.9%ってー」
彼に聞けば答えが分かると思っていた彼女は困惑した。

謎の男子生徒「お前をターゲットにした”理由”は分からない。ただ、お前を狙っていたのは間違いない。」
そう彼は即答した。

謎の男子生徒「お前が、ステージにあがったとき、やつは動いた。」
蘇我「...!」

謎の男子生徒「体育館には、300名近い人がいた。お前がステージにあがるまで時間はあったはずのに、その間は何も起きなかった。」
蘇我「私が、ステージにあがったとき、私に気づいた...?」
謎の男子生徒「おそらくな。お前を探していたが、見つけられなかったんだろう。ステージで立ち止まるお前の首は、さぞかし狙いやすかっただろうな。」
蘇我「だけど、私はすぐステージから降りた....。」
謎の男子生徒「そう....。ステージから降りたお前の代わりに校長が殺された。...ステージから降りた理由は、悲鳴が聞こえたからか?」
蘇我「...い、いや。悲鳴が聞こえる一瞬前...、手元に持っていた紙が破けたんです...。」
謎の男子生徒「紙...?」
蘇我「はい。入学者宣誓用に準備していた紙です。」
謎の男子生徒「その紙、いま持ってるか?」
蘇我「ステージに降りる前に上着にいれたので...」
上着の外ポケットに手を入れる彼女。左右のポケットから真っ二つになっている紙を取り出し、彼に渡した。

謎の男子生徒「...。これ、預かってもいいか?」
蘇我「はい...どうぞ。もう使わないので。」
紙の両面を指の腹で触りながらゆっくり確認し、胸ポケットに入れる彼。

コーヒーを口に含み、ゆっくり鼻で息を吐く彼。窓から外を見る。カフェ前の道から交差点の雑踏の中に人が吸い込まれていく。テーブルに肘をつき、手に顎を乗せる彼の指は、優しく彼の右頬を包んでいた。彼は何から話すべきか思案しているようだった。

公園で女の子が連れ去られてから2年後、白い紋が入った紫の袴を着た男が施設に訪ねてきた。施設の人は、男の姿を見て、宗教勧誘だと思い門前払いした。男は週に2回ほど家に訪ねてきては、施設の人に追い返されていた。2階の窓からそれを眺めていた僕は、14回目の男の来訪を近所の公園で待った。男が公園の前を通り過ぎるとき、僕は声を掛けた。みんなが言うほど男に嫌な空気を感じなかった。むしろどこか懐かしく、ホッとするようなそんな気がした。

男の子「ねぇ。なんでおじちゃんはうちに来るの?」
男は歩みを止め、急に声を掛けてきた男の子をじっくりと見た。

男「...君は、あの施設の子...だね?」
男は自分が今から訪れる先を指差し、男の子に確認した。

男の子「うん!おじちゃんが来るのを2階からずっと見てた!」
男「そうか。施設の人は全く話を聞いてくれなくてね。何度も追い返されるんだ。」
男の子は不思議そうな顔で男を見上げている。

男「君の名前はなんだい?」
男の子「虎雅(こうが)!」
男「こうが...、いい名前だね。虎は山の神と言われていて、防災に縁起があるんだよ。」
男の子「そうなの?よくわかんないけど、トラは強いから好き!」
男の子は不思議そうな顔を止め、少し誇らしげな顔で口角を上げた。

男「こうがくんのママも、”強くあって欲しい”って願って付けてくれたのかもしれないね。」
男の子「う...うん!」
一瞬言いよどんだ後、元気に返事をする男の子。

あの事件から程なくして母を亡くした男の子は施設に預けられた。親族は急な母親の死に”あの日の女の子の呪いだ、男の子に近づけば呪われる”と信じ、あの事件を知らない街の施設に男の子を預けた。母親を亡くし、親族からも見放された男の子が元気な笑顔を見せるまでには、施設の人たちの献身的な愛と2年に及ぶ時間がかかった。施設では何不自由なく過ごすことが出来た男の子だが、何か決心に満ちたような頑なな意志を持っていた。朝は誰よりも速く新聞を読み、暇なときは大抵2階から外を眺める男の子に、あの事件の話をする者はいなかった。

男「君は大丈夫。大丈夫ー」
男は男の子の頭を優しく撫でた。

頭を撫でられて、僕はふと母親を思い出した。物心ついた頃から、心がモヤモヤした時や泣きたくなる時、母はいつも優しく頭を撫でて「大丈夫」と声を掛けてくれた。一筋の涙が頬を伝った。泣きたいわけじゃない、でも何故か涙が出てくる。胸がきゅーと苦しくなった。母にぎゅっと抱きしめてもらいたいー

涙を流す男の子を見て、男は膝を地面につき、男の子を抱きしめた。目に溜まっていた涙は堰を切ったように流れ、男の耳は頬の暖かさと冷たさを同時に感じた。

なぜ涙がこんなにも出てくるのか、男の子にはわからなかった。ただ分かることー、感じることがあった。とても暖かく、そして心が穏やかになる気持ち。そんな目には見えない空気のような不思議な力を見知らぬ男から感じた。

男の子はその日、施設には帰らなかった。

彼は一息つくと、コーヒーを口に持っていったが、既に飲み干していたことに気づき、新しいコーヒーを頼み、砂糖とミルクを入れ、口に運んだ。
蘇我「...それで、こうがさんは...それからどうしたんですか?」
彼女も新しい紅茶を頼みながら、左腕をさする。

虎雅「俺は引き取られた後、こっちに来た。」
蘇我「ここ熊本に?」
虎雅「そうだ。熊本に入って2年後の夏、俺が生まれ育った東京は…。海に沈んだ。政府は最後まで東京復興を視野に入れていたが、東京は全滅、千葉、神奈川も沿岸部は大ダメージを受けた。政府は首都機能の崩壊した東京を捨て、首都移転を計画した。」
蘇我「まさか、熊本が首都になるなんて...。」
虎雅「名古屋、大阪、福岡、札幌も候補に上がっていたみたいだが、人口が多いところに首都を移動しては、東京一極集中の二の舞になる。日本はまだまだ災害が発生する可能性が大きい。有事に備えて拠点を増やしておけば、また何かあっても首都機能の移転が可能だ。」

彼女はずっと疑問に思っていたことを彼に聞いた。
蘇我「ーあの...、モノノケってなんなんですか?」
彼女の左腕がうずく。それをなだめるかのように右手で擦る彼女。

彼女の質問に答える準備を整えるかのように、彼はゆったりとした動きでコーヒーの甘ったるさが絡みついた舌を水でリセットした。

彼は、徐に語りだした。


モノノケは、古来より日本に住み着いていたと考えられている妖怪だ。

和銅5年、西暦712年に成立したとされる日本最古の書物とされる古事記。
日本の神々の話が収録されているその書物は、天皇家と日本の成り立ちを知ることが出来る。

いくつかの写本が存在するが、なぜか原本は未だ見つかっていないー。

写本にはヤマタノオロチなどのモノノケは書かれているが、モノノケが一体なんなのか。どうして発生するのか。やつらは何故人を襲うのか。モノノケの成り立ちについてまでは書かれていない。しかし、原本にはそれが書かれてあるらしい。意図的に写本から削除されているそれを俺たちはこう読んでいるー。

”モノノケ記”


モノノケ 2話 了

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