『海と毒薬』と解剖

「本当にみんなが死んでいく世の中だった。病院で息を引き取らぬ者は、夜ごとの空襲で死んでいく。」

海と毒薬

引用(↑)はただの好きな一文

解剖学実習を思い出す小説だったので、その時のことを書きたいと思った。でもやっぱりその記憶、感情、感想どれも書けない。なんで書けないって思うんだろうって考えた。実習のこと思い返す代わりにそのへんのことを思い出してみた。

解剖学実習が始まるに先立って、Twitterやブログで実習について語っている人がいないか探した。いるっちゃいるが、実習の様子、勉強の大変さ、ご献体への感謝がほとんどで個人的な感想はあまり見られない。SNSでははっちゃけてる医師(医学生)アカウントもこれに関してはあまり触れない。

実習が始まってみて感じたことだが、直接的な実習内容に関する話は盛んでも、自分の感じたことを話すのは憚られるような空気があった。結局親友たちともその後も込み入った話はしなかった。

振り返ってみると解剖実習の前に講義があり、その中で「刑法では遺体を損壊することは懲役刑になる。医学生の解剖実習は「献体法」によって例外的に許可されている。」といった内容の説明があった。ここで罪の意識や倫理観を持ったのかとも思ったが、それもなんというかちょっと違う。

罪の意識、倫理観といったものの影響もないとはいえない。けどもご献体くださった方とそのご遺族の尊厳への敬意、みたいな曖昧な感情から僕は口を噤んでいるように思う。(個人的背景とも複雑に絡み合っていてここに関してすら何も明言できないのだけど)

大学がいくら厳しく指導しても個人情報なんか駄々洩れの今の時代に、解剖実習に関する匿名での赤裸々な感想が漏れ聞こえないのは、僕と同じような人が多いからだったらいいなと勝手に思う。

解剖実習の感想も書けないくせにこの題名で文章を書きたくなったのは、小説内に出てきた「ボキンという鈍い音がして鹿の角に似た第四肋骨がもぎ取られ、受け皿の中にかるい乾いた響きを立てて落ちた」の一文がやけに生々しく頭に反響して、それが痛かったってだけの話かもしれない。


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