3割の話


 どうも、こんばんは。
 ただいま列車に揺られながら執筆中です。
 列車に揺られるという表現あるけど、最近の電車ってそんなに揺れなくねと思っている所存でした。
 がしかし、今乗っている電車は、振り子式と呼ばれるようなもので、ある程度スピードを出して走る特急列車に用いられてるそうですね。
 振り子ほどは揺れないですが、カーブを走っているときの傾きだったり遠心力だったりを強く感じます。
 要するにそこらの電車よりは揺れるというわけです。
振り子式の電車に乗るのは初めてなため、列車に揺られるとはこういうことなんだなと実感しています。いやまあ、昔は普通の列車ももっと揺れてたのかもしれないが。
 三半規管が弱い僕には振り子式はちょっときついものがありますね。とはいえ思ったよりは大丈夫そうではありますが。本当に三半規管が弱い人は酔い止めを飲んでこの列車に挑んだ方がよろしいでしょう。
 特急列車ということでかなり長い距離を走る路線なのですが、車窓が山から街に、都会に変わっていくのはやっぱり好き。どの路線にも車窓はあるわけですが、これだけ大きな変化を感じられる路線というのは多くはないでしょうからね。
 できるだけ在来線にこだわって移動する意味でもあります。旅行の移動って結構貴重なんですよね。それぞれの交通手段によりけり、いい所はあると思ってますが、1番楽しめるのが在来線だと思っております。
 そんなこんなで景色を眺めたり、これを書いたりしてる間に列車はだいぶ街の辺りまで進んできました。単線から複線へ。終点に着く頃には何線か数えられないくらいになっているはずです。そう考えるだけでもなんかすごい。
 終盤になってくると揺れにもだいぶ慣れてきたのか、もしくは平地を走っているからカーブが少ないのか、あまり気にならなくなってきましたね。
 sumikaの曲を聴き、景色を眺めている優雅な休日です。こういうのが1番旅って感じする。もちろん観光地に行ったり、名所を巡ったりするわけですが、そういうのとは違う旅感がありますよね。
 たまには、新幹線とか飛行機とかじゃなくて、在来線でのんびり車窓を眺めながら旅してみてはいかがでしょうか。新幹線も飛行機もそれはそれでいいけどね!



 では本編。
 3割のお話です。3割と言われて何を思い浮かべますかね。僕は野球選手の打率とかでしょうか。スーパーの値下げシールとかもありますかね。
 今日ここでする話は明確に3割ではなくて、体感のものなんですけどねがははは。

 以前のnoteでも言及したんですけど、多分これらのnote達で僕が本当に伝えたい気持ちって3割も伝わってないと思うんです。僕の文章を書く力の問題ももちろんありますし、言葉だけだと100%伝えるというのはなかなか難しいものです。そもそも言葉にできない気持ちも思いもたくさん抱えているわけですから。
 と同時に、目の前にいる相手が伝えようとしてくれてることとか、音楽や物語が伝えたいことも3割も受け取れてないなと感じるわけです。それぞれに媒体の差はあれど、伝えることと同様に受け取ることもなかなか難しいと感じます。
 まあもちろん、そんなのは相手との会話や作品に依存する部分ではあって、8割ぐらいで伝わってることもあるかもしれません。
 僕は観てないんですが、「君たちはどう生きるか」というジブリ最新作。色んな意見を見かけますよね。好きとか嫌いとか何も分からないとかなんとか。
 そういう声を見ていると、多分、多くの人が本当の監督の意図を3割も受け取れてないのでは無いかと思うわけです。でも、それぞれなりに残りの7割を埋めようとするから色んな解釈が生まれるわけですよね。
 創作物というのは、そもそも10割を伝えるためのものでも無いかもですしね。それは創作者側のスタンスによると思いますが。
 色んな作品や音楽に、人によって解釈の差が生まれるのはその余白の部分こそにあるんでしょう。
 次は、創作物じゃなくて対人関係としましょう。誰かに悩みを相談する・されるみたいなことありますよね。このときに、何を悩んでいるのかとかは分かっても、本質ってなかなか受け取れないと感じるわけです。
 例えば、人と仲良くなれないという悩みを抱えていたとして、友達ができないことに悩んでいるのか、初対面の人と話すのが苦手なのか、そもそも仲良くなんてなりたくないけど周りにそう言われて人と仲良くなるべきなのにと思ってる、のか。ここにあげたのはパッと思いつく程度のものですが、そういう悩みの本質的な部分を正確に受け取るのって案外難しいと思うんです。
 悩みとかじゃなくても対人関係ならたくさんこういうことがありますよね。何を意図してこの発言をしたんだろうとか考え始めるとキリがない。
 自分が発した言葉を振り返って、もっとこう伝えるべきだったなという場面もたくさんあります。
 難しいんです。
 簡単に伝わった3割だけを見ているのは楽ですし、それもそれでまちがいではないと思うんです。ちゃんと伝わった部分だけでも。
 でもね。伝える受け取るって両者の歩み寄りによって成り立っているわけですよね。片方でもその歩みを止めたら、それ以上は踏み込めないわけです。
 だから、そういう残りの7割の歩み寄りを、サボっちゃいけないと思うんです。難しいし、それが正しいかも分からないけど、でも歩み寄ろうとすることをサボっちゃいけないんですよねたぶん。相手の想定解とは違っていても、自身で考えた時間とか埋めた7割にはきっと価値があるし、それをサボったら何も生まれないと思うのです。
 それらをサボってしまった先には、目の前の人とも、何もかもとも向き合えない自分が残ってしまうのだろうと思います。
 そんなこんなで、様々なものに歩み寄れるようになりたいというお話でした。



 今日はこの曲コーナーお休みです。
 理由は眠いからです。仕方ないね。
 代わりに今までのをまとめたリストを再掲しておきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?