萩尾望都の『ピアリス』はショタリョナ小説
萩尾望都さんが小説に初挑戦した『ピアリス』ですが、私の周りではあまり評判が芳しくありません。
萩尾さんの書いた小説という情報だけが先行して、とりあえず読んでみるかとAmazonポチッとした読者によって、部数がそれなりに捌けているように見えるだけでしょう。
読んだ後は、躊躇なく古本屋に売っ払っているかもしれません。
結論から先に書きますが、萩尾さんがこの小説でウリにしたかったのは、少年を虐待するショタリョナだったのではないかと思います。
少年を去勢するのはショタリョナの定番ですからね。
竹宮さんの描く耽美系BL漫画での鞭打ちシチュは、あくまでも受役の少年に対する攻役や当て馬役の愛情(嫉妬など)が動機です。
でも、萩尾さんの残神やこのピアリスには、そのようなものはありません。
ただただ少年を痛めつけて、作者や読者の嗜虐欲を満たすためだけのシチュエーションのように見受けます。
ショタリョナとは
https://dic.pixiv.net/a/ショタリョナ
男の子が痛めつけられるシーンを題材とした作品につけられるタグ
「男リョナ」の一種
登場人物のうち、少年の方はかならず酷い目に遭います。
でも、少女は大した目に遭いません。
(ピアリスは学校の爆発に巻き込まれて片方の耳たぶが半分千切れ、友人のダンテも失明しただけです)
主人公の少年ユーロは、5歳から10歳までの間、アムルー人特有の冬眠期を逆手にとられ、「のろま」と呼ばれて、修道院の教師と生徒たちのイジメの対象になっていました。
唯一優しくしてくれた教師もいましたが、教師に贔屓されるのは不公平だという理不尽な理由で、公開鞭打ち30発の刑に処せられます。
しかも、それは表向きで、実際は男性教師との同性愛行為を疑われたのが理由でした。
極めつけは、エトラジェン人の東方位宗派に掠われて、長老ふたりに強姦されたあげく去勢されてしまいます。
また、修道院で知り合ったミカロという少年は、ユーロの友人でしたが、大地震で倒れてきた建物にグチャグチャに押しつぶされて圧死。
ピアリスの連れの少年カイジは、ダンテに股間を蹴り上げられて声も出なくなるほど悶絶。
その後、ギャングに掠われ、ボコボコにリンチされます。
着衣はほとんど裸になるまで破かれ、全身に皮下出血の青あざができ、顔もかろうじて本人と判別できるくらいまで腫れ上がり、右膝と胸骨と小指など7ヶ所の骨にヒビが入っていました。
暴行が止んだのは男色家に売り飛ばす為です。
同じくピアリスの連れの少年シジューは、騒動に巻き込まれて脳しんとうを起こし、ムチ打ち症になり前歯を折って、最期は学校の爆発事故に巻き込まれてバラバラになって惨死。
養母からは「遺体がバラバラになったら臓器が売れないじゃないの!」と死体蹴りの悪態をつかれます。
また、ピアリスの養母ダムダム・ママの息子ハローはサイボーグにされ、ヘリから飛び降りて壊れてポンコツに。
その後、ギャングに首をもがれて活動停止。
ユーロは言います。
どうか妹のピアリスが、ぼくと同じ目に遭っていませんように、と。
――遭いません。
だって、この小説は少年だけが酷い目に遭うショタリョナですから(笑)
萩尾さんは大泉で増山さんに少年愛のレクチャーを受けましたが、その際に竹宮さんとは違う解釈の仕方で、少年愛を理解したのではないでしょうか。
ところで、このあと、ちょっと興味深いことが書かれています。
「この主人公の少年はきっと寂しくて、こういうことをしてしまうのね? 愛を求めているのね?」って、ちゃんと『風と木の詩』を理解してるじゃないですか、萩尾先生(笑)
『風と木の詩』を読んだ事のある方ならご存じだと思いますが、主人公のひとりジルベールは、叔父(本当は実父)のオーギュストに肉体と精神を支配される躾を受けています。
そのオーギュストが寄宿学院にほとんど顔を見せない寂しさを埋めるために不特定多数と肉体関係を持っているわけです。
もっとも、この当時の竹宮さんはジルベールの設定を「誰とでも寝るのが好きな少年」にしていて、あとから、それでは少女漫画誌には載せられないと考え直し、萩尾さんの言葉を思い出して、その設定を採用した可能性もあります。
話を戻します。
下記は『ピアリス』と同時期に連載されていた『残酷な神が支配する』という漫画について、会場から質問を受けた萩尾さんの回答です。
もしかしたら萩尾さんは、大泉で「少年愛が理解できない漫画家」というコンプレックスを抱え込み、それを克服するためにBLを読み漁ったりしたのかもしれません。
山藍紫姫子さんは「耽美の女王」の異名を持つBL小説家です。
私も大ファンで山藍先生の著書は全部持っています。
『アレキサンドライト』も読んだことがありますが、主人公のシュリル(両性具有の美人)が全編を通じて、ありとあらゆる恥辱的な方法で犯されまくる、えげつないお話です。
山藍紫姫子さんの小説も楽しめるようになるとは、萩尾さんも大泉の頃と違って、ずいぶんと耽美系BLに親しまれるようになったものです(笑)
5ch少女漫画板の大泉スレに、こんな指摘がありました。
今のBLは明るい作風が多いのかもしれませんが、20年くらい前までは暴力を含んだ暗く重い耽美系JUNE系と呼ばれるBLもありました。
『風と木の詩』も耽美系に分類されます。
なので、この萩尾信者の方の言うように「暴力を含んだ愛はBLじゃない」というのは誤りです。ただし、SMというのは正解です。
実は、BLには攻や受、当て馬やモブレなどのテンプレートがあります。
攻や当て馬には、どんな形であれ受の男性への愛情があります。
それに沿った作品がBLというわけです。
萩尾さんの『残酷な神が支配する』にはBLのテンプレが当てはまりません。
義父のグレッグは、主人公の少年ジェルミを変態性欲の捌け口にしているだけで、彼に対する愛情などはないからです。
萩尾さんは「少年愛とは少年に一方的な性的虐待を加えることによって得られる嗜虐欲のこと」という独自の解釈で、漫画を描いたのかもしれませんが、それはBLじゃなくてSMです。
少年が対象で、SMプレイだけではなく、暴力や事故などで酷い目に遭うシーンが多ければショタリョナに分類されるでしょう。
【お詫び】記事中、ショタとBLを混同しているところもありますが、筆者もその境界線をよく理解できていません。浅学ゆえ、おおらかな目で見てあげて下さい(笑)
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