本命

【『週プロ』師弟対談】ターザン山本!×市瀬英俊〈vol.2〉[30年前の『週プロ』における猪木と馬場の扱い]

 今回は平成版『喫茶店トーク!』の番外編として、元『週刊プロレス』編集長のターザン山本! 氏とその部下だった市瀬英俊氏が時空を超えて再会! テーマはズバリ「『週プロ』とはなんだったのか?」。いやー、正直、ここまで濃いものだとは思わなかった。何はともあれ読んでみるべし。果たして、古き良き時代の風景がここに!?(聞き手◉“Show”大谷泰顕

(⬆︎「『週プロ』とはなんだったのか?」を語り出したターザン山本! 氏&市瀬英俊氏と『週プロ』編集長最後の号となった20年前の743号/96年7月23日号の表紙。ターザンカフェも絶好調!)

(⬆︎今回は、この号に関する話が登場!)

〈前回までの内容はこちら⬇︎〉
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(元『週刊プロレス』編集長のターザン山本! 氏が古き良き時代を熱弁!)

▪︎最初にプロの端くれとして取材に行った大会

山本 なんて(ベースボール・マガジン社は)間抜けな会社なんだ!(笑)

市瀬 その翌年に同じように試験に落ちたのが佐藤(正行)くん。

――あ、のちの大編集長も(笑)。

市瀬 だけど(入社試験に)落とされた二人が『週プロ』では主力とは言わないけど、新日本と全日本の担当としてやっていくわけでしょ?

――すごい会社ですね(笑)。

市瀬 だけど、俺が受けた時に普通に受かった人は、しばらくしたらもう会社にはいなかったよ(笑)。

――正規で入った人はすぐに辞めちゃうんですね。

山本 ぜーんぶオール全てコネで入って来ているからな。

市瀬 思っていたことと編集作業のギャップとかあるじゃない。それと他の編集部は自分では取材に行かないっていうのがあるから。特に野球とかは。だから、なんか違うなあって辞めちゃうんですよ。

山本 だって普通はアルバイトで2年も編集部にいたら、自動的に社員にさせるじゃない。

――ちなみに市瀬さんは、正式にはいつ社員になったんですか?

市瀬 大学を卒業したのが87年の3月で、その年の4月に山本さんが編集長になって、しばらくして山本さんから「社員になれ」って言われた。正式には87年10月入社です。

――じゃあ、山本さんが社員になるように押してくれたんですね。

市瀬 そうそうそうそう。だけど、だったら最初から採用してくれよって思うよね(笑)。


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〔関連項目〕
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 ⬆︎Uとは? 長州とは? 元『週刊プロレス』編集長のターザン山本! 氏が古き良き時代を熱弁!

――確かに(笑)。でも、その話を聞くと、第1次UWFの頃からなんですね、編集部でバイトを始めたのが。

市瀬 そう。だから無限大記念日(84年7月23&24日、後楽園ホール)とかは、杉山さんにくっついていって会場で試合を見させてもらいましたよ。

――ああ、なるほど。

市瀬 一番最初に会場に行ったのは、新日本と維新軍の5対5勝ち抜き戦かな。

――4・19蔵前ですね!(84年4月19日、蔵前国技館)

市瀬 そうそうそうそう。これも杉山さんが連れていってくれた。バイトを始めて3日目ぐらいだったかな。

山本 俺が聞きたいのはね、杉山体制と山本体制ではどう違ったのか? それを聞きたかったわけよ。

市瀬 いやあ、杉山さんの時はバイトだったんで……。ただ、僕からすると杉山さんは、良くも悪くもプロレスに関心がない人だったじゃないですか。

山本 (プロレスが)好きじゃないもんね。好きじゃないのにプロレス雑誌を作っている、珍しい人だったよね。新聞社だったらわかるよ。スポーツが好きで会社に入って、野球だの、サッカーだの、相撲だのに取材に行くっていうのはね。

以下、その内容の一部を紹介
▪︎『週プロ』杉山初代編集長が実行したこと▪︎30年前の『週プロ』における猪木と馬場の扱い▪︎ぜーんぶオール全てカネ!?


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