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大反響御礼!【連載】猪木とは何か?〈親族編〉サイモン・ケリー・猪木、その半生を激白!(6)「藤田に続きカシンの『PRIDE』参戦!」

 アントニオ猪木の娘婿にして、元・新日本プロレス社長と現IGF取締役の肩書きを持つ男。それがサイモン・ケリー・猪木である。その肩書きが示す通り、サイモンの人生は常に激動の中にあった。

 そんなサイモンが半生を振り返る大反響の連載。注目の第6回は『PRIDE10』に参戦した藤田和之と石澤常光(ケンドー・カシン)の話。迷わず読めよ。読めばわかるさ!(聞き手◉“Show”大谷泰顕

〈前回までの内容はこちら⬇︎〉

【連載】猪木とは何か?〈親族編〉サイモン猪木、半生を語る!
(素顔のA猪木とその愛娘・猪木寛子、そして倍賞美津子…、親族のみが知る真実!)


▪︎蒸し風呂の西武ドーム


――『PRIDE10』(2000年8月27日、西武ドーム)では、藤田和之×ケン・シャムロック戦がありましたね。


サイモン シャムロックってドン・フライと仲が悪いじゃないですか。
 

――相性が悪いんでしょうね。


サイモン だから、例えば試合中に、藤田さんが自分のコーナーのほうにシャムロックが来る場面があったりすると、ドン・フライはシャムロックに話しかけるんですよ。


――試合中に?


サイモン そう。「お前、大したことねえな」とかって野次っているんです(笑)。


――リングのすぐ下から野次っていましたか(笑)。


サイモン ずーっとですよ、ホント(笑)。


――ずーっと(笑)。


サイモン セコンドだから藤田さんに指示を送ればいいのに、リング下からシャムロックにケンカを売っているんです(笑)。


――「フジタ、いいぞ!」じゃなくて、「シャムロックのバーカ!」みたいな感じですね(笑)。


サイモン ホントそんな感じ(笑)。あの試合って、結局最後は、シャムロックが藤田さんを殴っても殴っても突っ込んで来るから、あきらめてギブアップみたいな感じでしょう?


――根負けしていましたよね。


サイモン そんな試合、観たことないですよね。
 

――『PRIDE10』ではケンドー・カシン(石澤常光)が初参戦でハイアン・グレイシーに敗れたじゃないですか。


サイモン あれはショックでしたよね。


――衝撃のKO負けでした。


サイモン 藤田さんの試合のすぐ後がカシンの試合だったから、控室に戻らないでここで観るってなったと思うから、リングサイドかリングのすぐ近くで観ていたんじゃないかな。


――そんな感じでしたね。


サイモン その時はみんな、「石澤さんだったら大丈夫だろう」っていうのがあったけど、パンチの連打でそんな感じで終わっちゃったから、えっ!! ていう感じでしたよね。空気が重かった気がしますね。


――あの試合、最後はハイアンのパンチが13連打だったんですよね。


サイモン そうですよね。


――映像を観ながら、何発当たったのか数えましたもんね。


サイモン あれは壮絶でしたよね。石澤さんが何にもできないまま、終わってしまったから。


――石澤常光に関しては、その前の『PRIDE9』(2000年6月4日、名古屋レインボーホール)の会場に来て、ヘンゾ・グレイシーと握手をするんです。そこで『PRIDE』に出る意思表示をしたっていう。


サイモン ありましたっけ?


――その頃、新日本の現場監督だった長州力さんからすれば、「俺は聞いてねえぞ」っていう話なんだと思うんですけど、サイモンさんはその辺りのことはどう聞いていましたか?


サイモン その辺りのことは俺、知らなかった。カシンは『PRIDE』に出ながら、新日本の巡業にも出たりしていたじゃないですか。その時はわかっていなかったけど、何年か後になって、結構ツラかったっていう話は聞いたことがありますよ。


――やっぱり。


サイモン ああ見えて、石澤さんは責任感の強い人なんですよね。だから1年後の『PRIDE15』(2001年7月29日、さいたまスーパーアリーナ)でハイアンにリベンジしますけど、それまでは大変だったみたいですね。


以下、その内容を一部紹介
▪︎プロレスラーを負けさせるわけにはいかない
▪︎パラオでバッテリーチャージ


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