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在宅介護と自分を思いっきり甘やかす時間~旦那は脳出血後遺症~

前置き

ちょっと離れてたnoto投稿。

4月から薬膳学院に通い始めたので
勉強に時間を割きたいな。と

ただ、どこかに自分には
この介護生活や相方さんの
奇跡的回復について
伝えたい!伝えなきゃ!と

勝手な使命感を持っていて
投稿しないこと=書くべきことが溜まる
そんな感覚になってしまうという。

・・・待ってる人は居ないかもだけど
書くことで誰かの
支えになれることもあるかと?!

インスタ・ツイッター・ブログと書いて
全く負担になってないという事はない。

でも時々更新頻度の高いインスタに
元気貰いました!
私も頑張ります!
励みになります!と
コメントやメッセージを
頂くことも増えてきた。

それは私たちにとっての励みにもなる。

そして相方さん
(旦那と呼ぶのがこっぱずかしいw)
のリハビリや共に楽しんだことなど
回復記録していくことは
将来の自分たちを
勇気づける
事にもつながる・・・

だから、きつくても、面倒でも、
負担になっていても
発信していく事は
継続していきたいな・・・

と、どうでも良いような悪いような
前置きは置いておいて・・・・
書きたい事はたくさんあるけど
数年ぶりに介護から解放され
思った事を・・・


約3年ぶり?くらいのひとり時間・・・

介護生活が他人事でなく日常に


宮古島に行って以来かな???

デイサービスのショートステイを利用して
相方さんに1泊2日でお泊りに行ってもらった。

約3年半くらいになるのかな???
久しぶりに自分だけの時間を満喫

相方さんが倒れる前は
休日に思いついて
ふらりと思いついて
やっていた事がすぐに叶わない
尊くてとても貴重な日々に見える

もちろん私もそうだったけど
俗にいう普通の生活のイメージ。

毎日仕事に行って
決まった日にお給料が振り込まれ
業績によるけど年に2~3回の賞与。

やった!休み!どこ行こう!

時には仕事の愚痴を言ってみたり・・・
変化のない毎日に退屈さを感じたり・・・
そんな生活。

これがごく普通だし
いつまでも続くような気がしてる
平凡な毎日が続いていくから
変化を求めて旅行に行ったり
楽しみを作ったり・・・

ときにはいつでも出来るからと
まぁいいか。明日やろう。
まぁいいか~適当に楽しもう。


そんなごく普通の毎日
幸せを感じれている人って
どのくらいいるのだろう。

私もその代り映えしない毎日に居た

やがて結婚してとにかく楽しく過ごしていた

ある日突然
脳卒中に襲われ倒れた相方さん
代り映えしない毎日は憧れの日々に逆転
先が見えず真っ暗・・・

これから先どうやって
生きていくんだろう?

そんな闇の中から
少しずつ解放されて
介護生活と言うのが
自分の日常
であり
その中で幸せを
感じれるようになってきた。

実は普通でなく頑張っている自分

生活に慣れていくうちに
いつの間にか
自分の“普通の日常”と言う
感覚は変化した。

そう思っていたけど・・・

数年ぶりに何の縛りもない
自分の行動を合わせることのない
一日をすごしてみて

改めて自分を認めて
甘やかす大切さ
を実感できた。

自分、頑張ってるじゃない!


普通のドライブは特別な一日だった


仲良しな友達と母と
ぶらりとドライブ・・・

帰る時間を気にせず気の向くまま
神社に寄ったり

ラムネが飲みたい!と
自分が飲みたいものを探して
誰の事も気にせず飲んで・・・

目的地へ到着して・・・・

友達とオカンと3人で
何も気にせず好きなもの頼んで
渡り蟹を食べて

家でお風呂の準備したくないし~
大きなお風呂・露天風呂に入りたい!

検索した山の中のお風呂に行き
ほぼ貸し切りの露天風呂で星をみながら
お湯に浸かる・・・

23時ごろ帰宅して
その足でぶらりと
一人でちょい飲みに出かける・・・

自分がしたい事をしたいように・・・
気の向くままに。


朝は誰にも起こされず
自分のペースで食事して
思いつくままに
ひとりでゆっくり映画を観に行き・・・

誰に気を遣う事もなく
好きなものを食べる。

介護生活での自分時間(レスパイト)の大切さ

肩の力が抜けた自分時間


こうやって自分の
思うままに過ごした
1泊2日・・・

ふっと肩の力が抜けた

いつも思ってたのは
毎日ヘルパーさんのお世話になって
家族も手伝いに来てくれるし

もっと大変な方が居るのだから
甘えたことは言えない!

自分はまだまだ足りない、
出来ていない
頑張れてない。


なんてそう思ってたけど・・・・

それは違うと感じた。

自分、頑張ってた!
いろんな事たくさん我慢してた!

自分の事褒めてあげないと。
なんて改めて思った。

4年前に自宅に連れて帰ってきて
コロナ過前までは
デイサービスで夕食を終わらせて
帰宅させてもらう事が出来たり

時々ショートステイを利用して
母と一泊で温泉へ行ったり
大好きな南国へ
一人旅したりしたこともあった。

実は人・時間に縛られた生活

利用していた介護施設の
規模拡大や見直しで
夕食サービス料金が高くなったり
コロナ過で受け入れに
制限がかかったり・・・
相方さんお気に入りの
スタッフが大勢退職したり

いろんな変化が重なり
宿泊利用していた
デイサービスの利用を中止・・・

コロナ過なので家が一番だし・・・
と言いながら
あっという間に月日が。

朝起きて朝ごはんの準備して
相方さんを起こして車いすに移乗

ヘルパーさんは毎日来てくれる。
朝から毎日来てくれることのありがたさ
朝から毎日誰かが来るという精神的負担

介助に来てくれると助かる
来てくれないと全部自分で
やらなきゃいけない


毎朝誰かが8時に来る
毎日寝坊出来ないwww

朝起きてそのまま
ダラッとしたいと思っても
誰かが来る・・・


身体がしんどい時でも
相方さんを起こして
必ず車いすに移乗、
寝るときはその逆。
何があっても
やらなきゃいけない・・・


相方さんの介護から
解放される日がなく
徐々にそれが普通、
慣れてきた。なんて思っていた。

常に相方さんの回復の事が一番

コロナ過で友達と
会える機会もグッと減り

友達と会ったり出かけたり
そんな刺激が回復の
手助け
をしてくれてたけど

どうやったら一緒に
楽しみながら生活していけるか?

自分の精神的負担の前に
回復の事。
そのことばかり
考えながら過ごしてた。

旦那をお泊り保育に行かせる気分?

この一年で身内での
冠婚葬祭がなんどかあり
ワクチン接種で熱が出たり・・・
ふと、やっぱり
ショートステイ
利用出来るところ
確保しておかないとな・・・と。

この春そんなデイサービスの利用を開始。
徐々に相方さんも慣れてきた。

私は4月から月に2回日曜日は薬膳学校へ
日曜日は学校か相方さんと過ごす日か・・・
その繰り返し。

7月末の第5週目の日曜日・・・・
学校じゃないから
在宅日かな?と思ったけど

やっぱり休む日を作ろう!思った瞬間
ふと、お泊りさせてみるか???と。

数年ぶりともなると
お泊り保育にでも送り出す
母親の気分?


前日は少し我がまま聞いてあげたり
ちょっと喜ぶことを・・・

かき氷を一緒に作って食べるだけで
すごく喜んで・・・(おっさんなのに)

自分だけ好きなことをする
と言ううしろめたさ?
浮気する男の人が妙に
奥さんに優しくする感覚?←表現悪い

悪くないよね!

何かあった時の為でなく自分たちの為

そして実際に久しぶり利用してみて
自分が頑張っていたことに気が付いて・・・
心が楽になったことにも気が付いて・・・


“何かあった時の為に”ではなくて
“私たちの為に”

大切な友達からの言葉は心に染み力になる


いつも福祉の専門家である友達が話してくれる
「適切な距離」その意味が良くわかる気がした。
時には離れて。

「介護する側が心身ともに健康であること」
これがお互い無理なく生活するために大切な事

「あなたが何かを我慢することが
 介助される側の苦痛かもしれないよ」


要所要所でくれる
そんな大切な言葉に救われて
肩の力が抜ける・・・・

このお友達だけでなくて
野球観戦仲間として繋がり
いつの間にか
大切になった友人たち
精神的な心の支え
なってくれていることが多い


「経験と学びと合わさればそれだけで価値があるもの
 今お互いに頑張ってることは誰かの為と言う思いだけど
 それが仕事にも繋がって行くはずだから
 将来の為にお互いに頑張ろう!生甲斐は大切だよ!」


そんな言葉をかけてくれる友人は
大変な仕事を熟しながら・・・

私は介護生活を送りながら
共に学ぶことを
励ましあいエールを送りあえて
学ぶことへの励みになるし
活力にもなってる

ショートステイに送り出して
頭空っぽにして・・・

気兼ねなくお付き合いできる
友達と笑って食べて・・・

ひとり飲みしながら
馴染みのお店の店長と
いつもと違う話をしみじみと・・・

振り返ってみても
介護生活は大変なことが多いけど
何の不自由なく暮らしていると
気付かなかった幸せを沢山発見できる。

何気なくできてたことが
特別なことにもなっている。

どんな状況でも自分の思考が
自分を幸せにする


それを頻繁に
出来なくなったと嘆いて
落ち込みながら過ごすのか?


何気ない事でも
こんなにも
素晴らしいことだったんだ!
感謝して幸せを感じて
過ごしていくか?


それは自分次第。

でも、些細な事(だと思ってた事)を
とても幸せと感じれるというのは
私はとてもお得な事だと思う

不幸だ幸せだと
思う事、感じる事は自分の思考1つ

生きてる人みんな幸せを持ってる

まず人と比べないこと
自分がどうか?が大切!

幸せそうに見えている人でも
見ている人にとって
とても大変なことを乗り越えて
辿り着いている人なのかもしれないし
一面をみて羨んだりしても意味のない事。

私が良く思うのは
病で倒れて大変ね、
不幸だったね。と
思っている人は
少なくはないと思うのだけど
(きっとそんな目で見てるでしょうと思う事がある)

私からすれば
いつも旦那さんの行動が目につき

やれ手伝ってくれない
やれ遊び癖がある
自分の話を聞いてくれないetc・・・
(実際に私も倒れる前は
 相方さんにムカついてること多かった)

そうやってイライラして過ごしているよりも

相方さんは生きていく為に
私を100%頼ってくれている


私はリハビリを頑張っていたり
身体が不自由になっているのに
不貞腐れたりせずに
楽しもうとしている相方さんの姿に

元気や頑張れる力を貰ってる

一緒に一生懸命生きていく感覚
その方がとても幸せなことなのでは?
と感じる事がある。

ちょっとしたことでも楽しめるしね。

でも本当にそれは
人それぞれの幸せの形があるわけで
誰かと比べるものでもなく
比べられるものでも
評価されるものでもなく

生きていれば大変なこともあるけど
生きていればなんか良いこともある!


時々は完ぺきに息抜きして
確実に人生の折り返し地点は過ぎてるのだから
後悔なく生きていきたいな・・・

サポート頂けたらとても助かります・・・・ 私たちの介護生活が誰かの役に立てるように 誰かの勇気や元気になれるように 頑張っていきたいと思います!