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ねずみの話

私の家は京都にある長屋で、大正時代にできた建物らしい。近所の方が子育てをし、そのお子さんがまた子育てをし、以降たくさんの家族がこの家に住んだ。そして私たちが住み始めてもう8年ほどになる。その間に子供が2人できて、それ以来ずっと4人家族だと信じて生きていた。

ある日、楽しみにしていたサツマイモを蒸したのが、少しだけかじられていた。こんなふうにかじるのは、2歳の子供に違いない。うむ。・・・あれ、でも2歳の子供が届くところに置いてなかったよね、このサツマイモ・・・。

私は急に、ここ半年、夜中に誰かがいるという気配を感じていたことを思い出した。でも「思い込み」だと思ってスルーしていた。夫もやはり気配を感じてはいたが「屋根裏の猫だろう」と思っていたそうだ。

そう、我が家の屋根裏には、猫が棲みついている。毎年繁殖期になると、合板と合板の間に入って交尾をするのが恒例だ。でも部屋の中には絶対入ってこないので、すっかり安心していた。

夜中に走り回る音もよく聞く。でも京都の町家に住む者にとって、屋根裏の生き物の存在は、当たり前だ。大抵はイタチかハクビシンだが、我が家は猫だ。部屋の中には絶対に侵入させないという条件で、共存を受け入れていると思う。

しかしとうとう、何者かが食べ物をかじったのだ。これは間違いなく侵入
だ。INTRUSIONだ。 INVASIONなのだ。それで思い出した。そういえば、2階の屋根裏に続くガラス戸が、少しだけあいていた、いつの間にか。この半年。・・・いやいや、あいていたら閉じろよ、と思うんだけど、私も夫も「あいてるなあ」と思っていたのだ。なぜか。いつの間にか。誰か、いや、何かの手によって。

翌日、どうしようかなと考えあぐねながら家で仕事をしていたら(いやいや二階の窓を閉じろよですよね)、キッチンを通り過ぎるつぶらな瞳の茶色いネズミと目があった。私は、すぐ来てください!とネズミ退治の会社に電話をし、帰宅した夫に2階の窓を閉じてもらった(やっと!)。

数日経って来てくれたネズミ退治のお兄さんは、懐中電灯で家電や家具の裏側を照らしながら「あー」と言った。

「あー、いますね」

うん、知ってる。目があったから呼んだ。

「これはハツカネズミの糞ですね・・・あー・・・これはクマネズミの糞ですね」

お兄さんは一つずつ残念そうに「あー」と言ってから、丁寧にフンの種類を紹介する。ネズミはまさに、あの2階の窓から部屋に侵入し、1階に降りてきて、台所に入り、キャビネットの裏を通り、シンクの上のサツマイモに手ではなく歯をかけたことが想像できた。

お兄さんはそのあともいろんなところを照らしながら「あー」と言いつつネズミがいると大変なことになるという情報をたくさん提供してくれた。健康被害、建物被害、その他もろもろ・・・

それからお兄さんと2階に上がり、ここの窓が空いてたんです、と屋根裏に続く窓をおみせした。そして目撃してしまった夜にすぐに閉めました!と自信を持って報告したら、突然、お兄さんのテンションが下った。

私は人類VSネズミの、人類側の人間に「やってやりましたぜ!」的に報告したつもりだったのに、にわかに上官の顔が曇るのが判って困惑した。

1階に戻った上官は、名刺とネズミ退治よりもリフォームの紹介ががっつり乗った冊子を私に差し出しながら、もしご希望でしたら調査にきますので、と言って帰って行った。

あ、あれ?調査じゃなかったんだ、今の・・・。
てか上官、一緒に喜んでくれないんすか・・・。

おそらくだが上官ならぬお兄さんは、侵入経路が明らかで、それを閉じればもう入ってこないだろうということが判ったんじゃないかと思う。それでセールス意欲を失ったのだろう。名刺には「一級建築士を抱える事務所」であることがアピールされていた。せっかくきたのに徒労に終わったに違いないお兄さんの行く末を少しだけ案じたけれど、彼の真の目的がネズミ退治ではないこともなんとなく判って、まあいっかとなった。

何より私はこれまで、家の中を掃除していたつもりだったことを恥じた。もともと私は汚部屋の住人だが、子供ができて少しだけ心を入れ替えたつもりでいたのだ。

しかし知らぬ間にネズミに侵入を許し、糞をすることを許していた。その上・・・食べ物まで・・・上官・・・私はまだ甘い・・・甘い・・・人間でした・・・。

翌日から心を入れ替えた私は、まずはキッチンにある「いると思ってとっておいたゴミ」を全部捨てた。それから落ちていたネズミの糞を全て処分し、フローリングや壁や家電を水拭きし、アルコール吹きし、乾拭きし、とにかく徹底的に掃除した。見た目をスッカスカにして、何か異変があればすぐわかるようにした。

それ以来、夜中の気配がなくなった。糞も、全く見かけていない。やはりあの屋根裏に続く窓だったのだろう。100年以上経っているこの家が、こんなに隅々まで、完璧に、プリント合板で囲われている理由が初めてわかった。動物対策だったのだ。私は京町家が大好きで、この合板さえなければもっともっと町家の雰囲気を感じられるのにとずっと思ってきたけれど、これのおかげで動物の侵入を免れていたのだ・・・。

窓を塞いだ夜、私はネズミの断末魔の声を聞いた。はっと目を覚まして夫に「今、ネズミ金切り声をあげたよね」と言ったら「は?」と言われた。夫が聞いていない以上、夢か現かはっきりしなかったのだが、それが2晩続いたことで気がついた。私は餌場を失ったネズミさんたちの生活を案じているのだ。あんなに気持ち悪がっていたネズミさんのことを、心配しているのだ、私ってばどこまで心のバランスをとっていこうとするんだろう。そんな、いいよ、ネズミにまで良い顔しなくても・・・

翌日の夜、今度は夫婦して、ネズミの激しい鳴き声を聞いて・・・そして、それ以来全く音がしなくなった。私は我が家の屋根裏を想像した。

猫は優雅に座っている。しかしその眼差しはどこまでも冷酷だ。カサッという音を聞いた瞬間、すくっと立ち上がる。それから細い足を一歩、一歩と前に運びながら、我が物顔で屋根裏を練り歩く。震えるネズミたち。ここで動けば一巻の終わりだ・・・しかしお腹を空かせた子ネズミたちは我慢できない。猫の足音を親ネズミだと勘違いして、少しだけ動いてしまうのだ。猫はすぐに気がつき、前足で子ネズミたちを捕らえる。泣き叫ぶ子ネズミたち・・・満腹になった猫は眠る。その間も微動だにできない大人ネズミたちは、しかしその日のうちに餓死。翌朝、死んでいるネズミを見つけた猫は嬉々としてそれを仲間の元に運び・・・これからも屋根裏で生活を続けるだろう。まるで、私たちの家族のように。

私がその話を6歳にしたら、6歳は猫を恨んだ。でもね6歳さん、私たちはネズミの方が無理。どれだけそのことを説明しても、ウクライナ民話の「てぶくろ」に慣れ親しんでいる6歳さんには伝わらない。「猫め・・・」と恨みが止まらない。


「てぶくろ」

でも「てぶくろ」が言いたいのはこういうことじゃないかな。私たちは交わらないことで共存できる。お互いのことを知るのは、時折聞こえてくる音や、温もりだけで十分だろう。いる。共存している。でも会ったら間違いなく、争いになる。だから、なるべくお互いの存在を脅かさないように、出会わない。これに尽きる。ということ。


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