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「そして羽音、ひとつ」チケット発売開始 

チケットが、発売開始となりました!情報はここから!

マジョリティはどうすれば自分のマジョリティ特権に気が付けるか
若干そわそわする副題ではありますが、私も含めて、マジョリティというのは、気が付かないのがデフォです。気が付かないことこそが、マジョリティの性質であるとも言えるかと思います。気が付かないと言うより、注意を払わない、英語で言うと、disregardですね。これ、ignoreになると、「知ってるけど無視する」つまりすでに、気がついている状態らしいです。

ignoreしている人には、もうアプローチしようがないというか、まぁ、知りたくねーよってことよね、と思うのですが、構造的差別がdisregardされている状態というのは、やはり構造的に、変えることができんじゃないのか?というのが、今回の、試みです。

正しいかどうかは、わかりません(いっときの私は正しいかどうかが気になってしょうがなくて、いつもキョロキョロしていたと思います。それを経て、違うな、正しいかどうかじゃないなって最近思ったので、そこは気にしてません)

最近、本当に嬉しい変化がたくさんあります。私がまず、私の価値観をはっきりさせることができるようになってきました。私は、自分の世界を広げることに価値を覚えるんです。自由であることがとても大事だし、自分がまだ知らない世界は、自分が見ようとしていない世界なのだと思っているんです。だから知りたいし、知って、変わっていきたい。それは、成長したいとはちょっとだけ違ってて、より、自然と一体化したい、みたいなことに近いかと思います。スピってまして、すいません。

そういう流れに任せて、会社の理念をとても手触りをもった状態で作成することができ、そこからどんどん、言語化が進んでいます。

ずっと「私はこうしたい」がないので、周りも反応できない、というのが私の大きな課題でした。私は自分がどうしたいの前に、周りはどうしたいのかを全て聞きたいという気持ちがずっと強かったので、それでたくさんの場所でたくさんの人とすれ違ってきたと思います。

例えば子供と暮らしていると、子供がどうしたいかを最優先にしがちですが、女性であるということだけで、男性の意思を汲み取る癖がついているところはやはり、日本ではまだまだ多いと思います。部下も、言語化されていない上司の気持ちを汲み取ろうとするでしょうし、生徒も先生の意図を探します。私においては、親の意図を汲み取らないと生きていけない世界にずっとおりました。

自分の我を通そうとする幼少期の私は、その「我」の部分を徹底的に叩き潰されてきた記憶があります。「あんたは我が強い」とよく叩かれました。
それではこの社会ではやっていけない」という「愛のムチ」だったのでしょう。

人のせいにするのもアレだけど、まあそういう環境や構造のせいで、私は自分の価値観をまず提示するということが、ずいぶん苦手だったと思います。それは直接的に、痛みを伴う行為、すなわち、相手を否定することにつながると思っていた節まであります。

最近、芸術監督という立場もそうだし、会社の社長という立場もそうだし、演出家であるという立場もそうですが、それ以前に私が私であるために、私の価値観の言語化というのはすべからく必要なのであるとようやく腑に落ちる感覚がありました。それはやっぱり、それが人を傷つけることではない。とわかったからです。いや、厳密に言えば人を傷つける覚悟で私は自分の価値観を言語化せねばならないのです。何かを切り捨てたり傷つけたりすることを、恐れていたのだと思います。

はっきりさせると、周りの人は、それを聞いて、立ち止まったり、寄り添ったり、立ち去ったりするでしょう。傷ついたり喜んだり、不快になったり戸惑ったり、もしかしたら無自覚に怯えるかもしれません。

でも私は何よりも、価値観が違うからこそ、とどまろうとしてくれた方と、共にやっていきたいと思っています。それが最も、私たちが大きな一つの自然として、よくなる方法だと思うからです。

そのためにも、今回はあえて「マジョリティ特権にどうすれば気が付くことができるのか」というふるいを、設置してみました。

価値観の違う人を排除するのではなく、違うところを伝え合って、欠けたところを補い合って、生きていく。そうして世界は広がっていく・・・私の価値観そのものでもあります。

チラシデザインは山口良太さん。モデルは武田暁さん。
坂下丈太郎さんに撮っていただきました!


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