録音ってロマンティック

今回アルバムに収録した「なんて言えば」は仮のリズムトラックを聴きながら弾き語りしたのに楽器を足してみた。ギターのトラックには歌が被ってるし歌のトラックにはギターが被ってる。それを実際の位置関係に定位すると音像がリアリティーを持って立体的になる。被ってるというのが大事。50年代はスタジオライブのレコーディングがレコーディングだったわけで、ミュージシャンの集中力をもった演奏熱が音楽のリアリティーに寄与してると思う。

打ち込み(コンピューターにデータを打ち込み演奏させる)のも打ち込み師の熱が反映されるけれど、自分は演奏の「息」を録音するのにロマンを感じるのです。そしてそれを「聴いたことない音像」に仕上げていくエンジニアリングにもまたロマンを感じる。そこのところを一番感じるのが65年くらいからのビートルズのレコーディング。

「tomorrow never knows」でジョンレノンは「スタジオの天井からロープでぶら下がって回されながら歌うのをマルチマイクで録音したらどうだろう?」と、レズリースピーカーに自らがなってみるような提案をしたという。実際にはやらなかったろうけど馬鹿ですね。でもその馬鹿さが駆動力となって面白い音像が生まれるところにすごくロマンを感じるし、ロマンがないと刺さる音楽は生まれないと思う。

ライブレコーディング+音像をこねくり回すアイディア、が楽しいね。

三密とか言ってたらできないし、お金もかかるし。でも21世紀なっても、いまだに生き生きした音楽をつくるための素晴らしいやり方のひとつだと思う。

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