アレンジャーの自分がソロアルバムをつくるようになるまで

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自分は初めから音楽を志していたのではなく、何ができるかわからず迷走の果てにたまたま誘われて入ったバンドで音楽への興味を取り戻したら次々道がひらけて、といった経緯だった。まあ今も迷走中な気がするけれど。いまつくってるアルバムだいぶ佳境です。

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多分84とか85年くらいの迷走からちょっと踏み出したけど迷走中の自分。多摩美の友人が撮ってくれた写真。このちょっとあとにGOK サウンドの近藤さん経由アルファレコード小池さん経由でインテンツイオに入ったのでした。

GOKには得体の知れない(失礼)ミュージシャンが出入りしてて、オフコースの曲でムーグ弾いた人とか、ビルラズウェルとかも見みかけたっけ。この頃、友人バンドのドラマーが「こんどデビューする吉川晃司ってやつのデモで叩いてきた」って言ってた記憶がある。

85年も終わる頃インテンツイオに入る事ができ、マニピュレーターという仕事についてみると、突然視界が開けたように。素晴らしいミュージシャンの方々の頭に鳴ってる音を一緒になって実際の音にしていくのはエキサイティングな経験。その中でこの人ならこう演奏するだろうなと想像できるようになった。

例えばドラムを打ち込む時には、幸宏さん、マヌカッツエ、ジョンボーナム、リンゴスターが、このセッションに呼ばれたらどう演奏しただろうか、と想像しながらやっていた。他の楽器もそんな感じで。そしたらアレンジャー的感性が爆発してきて、誰彼の世界観にコミットするのも不思議なほどスムーズに

samplerが安くなり、sampling timeも長くなって(フェアライトⅢは確か2分30秒録再生できて1500万くらいだった)、演奏の編集も可能になり、コラージュしながらつくるのもエキサイティングだった。が、ある時演奏のリアリティーが失われるのが我慢できなくなってしまった。

外仕事で編曲家の方々とやるようになり、とたんに音楽をつくる楽しさが半減してしまった。アーティスト本人の世界観にコミットするのが楽しかった自分は、編曲家の方々のゴールが、あからさまでつまらなく感じてしまったから。それで自分で編曲仕事をするようになった。ブッ飛んだ人は面白かったけど。

アレンジャー仕事を始めた頃、SAKANA『get into water」鈴木祥子「hourglass」、成田忍氏と一緒に鈴木とおる「金の椅子」、デランジェ、これらの作品は同時期。レニークラビッツが出てきてショックを受けた頃で、テクノ、アナログ回帰、サンプリングのカオスの中でつくってた。今聴いても面白いです

KKとガッツり仕事したのもこの頃で、ルナティックライオン後の「キスに撃たれて眠りたい」のアレンジ。冒頭の場面はブレードランナー的な世界にこんなロックが鳴ったらカッコいいんじゃないかな、と思ってのことでした。きょうはここまで〜。

ここで中学生当時の自分の音楽体験を。フォークブームに乗りつつギターの魅力に取り憑かれていた自分。通ってたレコード屋でled zeppelinの「houses of the holy」を発見。視聴させてもらいrain songでやられてしまう。音楽で絵が描けるという印象。心模様を歌い込むより凄い!と思って今に至るのです

歌も、言葉よりも声の響きに魅力を感じるので、知らない言語でも響きが楽しめればオッケー(歌詞を軽視してるのではなく)なのです。が、響きを楽しむ以前に、意味浅はかで分かりやすい歌詞が聴こえてくると勘弁して、となってしまう。届かない謎がないと魅力ないです。

がっつり洋楽にやられてしまった自分。思うに、邦楽には自由さが足りない感じがして物足りなかった。そのコンプレックスに風穴を開けてくれたのがYMO、そしてだいぶ経ち、仕事でもがきつつ二度目の風穴を開けてくれたのが奄美民謡だった。

samplengしたフレーズ(民族音楽に限らず)は調性とかスケール(ドリアンとか)を掴めれば、どんなトラックにも突っ込める。けどエディター的に使うのではなく、そのものにハーモニーを持ち込んだらいいんじゃないかという試みがRIKKIさんの「シマウタtricles」だった。オルタネイトスケールがはまった

タイプミスありますね、、sampling、シマウタtrickles。全力で声を張り上げるのではなく裏声を使った繊細な歌唱が魅力的なので、Am,Em,Fmai7などよくある進行ではなくボサノバ+ブリティッシュトラッドなアレンジがハマった。けど師匠の築地さんにはスカッとしたメジャーな進行がハマりそれも面白かった

話は戻り90年代前半にアナログ回帰に価値を感じた自分。アレンジ仕事も打ち込みやsamplingなしで、playerが演奏しテープに録音、その後味付けにデジタル処理を使う、に変化していった。鈴木祥子作品のあと比屋定篤子の仕事がきて、何か一気に深まった感があった。

その後、ジョアンジルベルトを経て娘さんのベベウジルベルトの「tanto tenpo」でDJがつくるアコースティックなトラックに刺激を受けつつ、大木彩乃「鏡と女」につながっていく。ロック、ボサノバ、ソウルミュジック、テクノなどなど混じり合ってます。

samplingネタにフィルターかけたり、プロフェット、アンビエントの音作りはかなり教授(坂本龍一さん)の影響をうけました。民族音楽にポリコードを当てると面白いとかは「neogeo」に参加できて知ったのでした。話は飛んで、

思うに60'sのロックが面白いのはヒッピー的なイマジネーションが音楽に映像、ファッション諸々の表現を持ち込んだから。その頃のミュージシャンでシンパシーを感じるのはブライアンジョーンズ。リフに木琴を重ねたりリコーダーを入れてみたり、音色の旅人ですね。モロッコ音楽に魅せられてたところも。

ザザッと自分の音楽体験を書いてみたけれど、音楽的放浪という感じ。そしてアレンジやプロデュースといった素材ありきでは気持ちが余ってしまい、自分のアルバムをつくり始めたのが2005年「アメマチ」から。今つくってるCDアルバムもあとはデザインだけとなりました。

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