営業していたんだよな

空っぽの空間

あまりにもがらんどうだ、と思った。

街を歩いていてふと見た建物の1階、飲食店が入っていたところだ。

現在の状況は言うまでもなく飲食店に厳しい。4月や5月頃にいくつか家の近所の飲食店が閉店の貼り紙を出していて「あぁ、残念だ」と思っていたが、夏頃を過ぎても営業しているお店に対しては「あそこは生き残ったんだな」なんてぼんやりと考えていた。

でも、こないだ通りがかったら突然お店が空っぽになっていた。がらんどうだ。やっぱりダメだったんだ。

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実際に入ったことがあるお店もあればそうでないお店もあるが、内装が撤去されて空っぽになった空間はなんだか不思議だ。広いようにも見えるし、信じられないくらい狭いようにも見える。

きっとそこで楽しい気持ちで友達と食事をした人がいただろうし、一人でお酒を飲んだ人もいるだろうし、喧嘩をしたカップルもいたかもしれない。そんな人たちをもてなすホールの店員さんがいて、キッチンの中には忙しく料理を作る人がいた。

空っぽの空間は、およそそんなことが活き活きと展開されていたとは思えないような、ただの空間だ。

生きていたんだよな

今年は有名人が自らの命を絶つ報道も目立った。そのような出来事についてはあいみょんの「生きていたんだよな」が唯一為し得る応答だと思っている。

皆さんご存じだと思うが、自殺をテーマにした曲だ。

あいみょんは別に「死んだのが惜しい」とか「一生懸命生きたのは素晴らしかった」とか「みんなは死んじゃダメだ」とかいうことは言わない。ただ、生きていたんだよなと、その事実を歌うだけだ。

これはすごく真摯な態度だと僕は思う。

彼の生は彼の生でしかなく、彼女の死は彼女の死でしかない。それを我々が勝手に評価して「生きられなかった彼/彼女の分まで生きよう」とか「彼/彼女の死にはこんな意味があったんだ」と物語として回収して終わりにするのはすごく独善的であり、彼・彼女らの尊厳を尊重する行いではないように思われる。

今はなきお店へ

そんなことを思いながら、なくなった飲食店についても勝手にこみ上げそうになるノスタルジーをぐっとこらえて「営業していたんだよな」とつぶやくだけにしておく。意味は評価しない。

そこでは一生懸命料理を作る人がいて、お客さんが泣き笑いしていた。ひとつの飲食店が営まれていたんだ。

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