開いてる店は開いてるし閉まってる店は閉まってる(ATAT-SMSM理論)

夜10時のラーメン屋

去年、(たしか)THE MANZAIというテレビ番組を見ていたらお笑いコンビの千鳥のお二人が漫才をしていた。

一言一句内容を記憶しているわけではないが、おおむね大悟さんが

「ラーメン屋は、お昼に行けばだいたい開いとる。夜も7時や9時に行けばたいてい開いとる。でも10時になるとどうやろうな? 開いとる店は開いとるけど閉まっとる店は閉まっとる」

「醤油ラーメンの店にしても豚骨ラーメンの店にしても同じじゃ。開いとる店は開いとるし閉まっとる店は閉まっとる」

「開いとる店が閉まっとったり閉まっとる店が開いとることはない。開いとる店は開いとるし閉まっとる店は閉まっとる」

ということをひたすらに言い続ける漫才だった。ノブさんが話を変えようとしたりツッコんだりしても大悟さんはいつまでも「開いとる店は開いとるし閉まっとる店は閉まっとる」にこだわる。

たしかそういうことってあるよなという「あるある」感と、執拗にそれにこだわる素っ頓狂さが笑える漫才だ(説明するな)。

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そのときはただゲラゲラ笑っていた僕だが、あまりの面白さに「開いとる店は開いとるし閉まっとる店は閉まっとる」というフレーズが心に残り続け、そのうちに「あれ、これって他の物事にも適用できるのでは…?」と考え始めた。

ATAT-SMSM理論

そこで考えたのがATAT-SMSM(開いとる店は開いとるし閉まっとる店は閉まっとる)理論だ。

経済学部ではマクロ経済学でIS-LM理論を習う。しかし経済学部生でもATAT-SMSM理論は聞いたことがないだろう。もちろん僕がこないだ作ったからだ。

意義は次の通りだ。

【ATAT-SMSM理論】ある事柄の性質は人の期待や予想の通りであることもあるしそうでないこともあるから、安易に断じることはできない。また、ある集合の各要素がどのような性質を備えているかは個別の要素によるのであり、一般論を導くことは難しいという考え方。

ATAT-SMSM理論は視野狭窄からあなたを救う

何故わざわざこんなものを理論化したのか。活用例から考えてみよう。

「東大卒は仕事ができない」なんて意見はどうだろう。なんとなくよく聞くような気がする。そう言ってみるとどこか留飲が下がるし、「勉強ばっかりやってきた人は勉強はできても社会に適合できない」みたいな面白いストーリーにも回収しやすい。

でも冷静に考えてみよう。東大卒でも「仕事ができる人はできるしできない人はできない」のではないか?

文章にしてみると超がつくほど当たり前すぎてかえってなんか意外だ。でも、それが現実だ。

あるいは「O型の人はおおらかな性格だ」というのはどうだろう。これも、同じO型でも「おおらかな人はおおらかだしおおらかでない人はおおらかでない」のではないか?

身もふたもないがそう言われてしまえばそうだろう(血液型性格診断に科学的根拠がないことは散々言われている)。

友人に嫌なことをされたような場合も「あいつは嫌なやつなんだ!」と言ってしまうのは簡単だ。でも人には良い面もあれば悪い面もある。一人の友達を「嫌なやつ」と決めつけてしまえば付き合いをやめたくなるだろうから友達を一人失うことになるが、その人の個別的な面をていねいに見たら、付き合い方次第では楽しく友達を続けられる方法があるかもしれない。

こういう考え方のほうが救いがあると僕は思う。

世界をありのままに見る

言っていることが当たり前すぎてつまらないだろう。

でも、僕からすれば、当たり前の事実を受け止めるのがつまらないと感じることこそ恐ろしい。本当にこんな風に物事を受け止めているだろうか?

思えば、僕たちは世界を単純化したがる。〇〇の性質は△△だ、と決めたがる。その方が情報が少なくなって楽だし、そうした抽象化をすることで組み立てられる思考もある。でも、一般化をするのはとても危険だということも忘れてはならない。ATAT-SMSMはそれをわかりやすく思い出させてくれる。

そして「東大卒ってお勉強はできるかもしれないけど仕事では使い物にならないよね(笑)」なんていう雑な一般化は、さらに「勉強はしても意味がない」といった雑な一般化の土台となりかねない。

そんな雑な一般化をし続けて5年10年経った人と、いつも一歩踏ん張ってATAT-SMSMを思い出し「でも個別のケースを具体的に考えたら実はそうじゃないかもしれない」と整理している人とでは、積み重ねられる思考の奥行と精緻さが全く異なってくるのではないか、というのが僕の想像だ(もっとも根拠はないし、人が物事を単純化したがるとかいうのも雑な一般化ではある)。

わざわざATAT-SMSMを「理論」なんて呼んで心に留めることで退屈な事実をきちんと受け止めるマインドを育む。これは何気に大事なんじゃないだろうか。

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ATAT-SMSM理論は結局はあなたを救わない

ATAT-SMSMは、逆に言えばただそれだけの理論だ。

面接に来た東大卒の人物が仕事ができるのかどうか教えてはくれないし、婚活で知り合ったO型の男性がおおらかなのかも教えてくれない。ATAT-SMSMが答えを教えて救ってくれるわけではない。

でもやっぱり、手掛かりは雑な一般論ではなく個別的な現実にある。その人は何をしてきた人で、どんなことをどんな口調で語り、どんな目をしているのか。

それを感じて考えるのは僕なのだ。逆に言えば僕にだけ僕の人生の答えを出す権利がある。雑な一般論に任せるだなんてもったいない。

ATAT-SMSMは僕を救ってはくれないが、「おまえがおまえの人生の個別的な現実に向き合って答えを出せ」と背中を押してくれる。

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