楽しい地獄

僕は今現在、Twitterのプロフィールを

「無駄だ ここは元から楽しい地獄だ!」

という文言にしている。

これは星野源さんの楽曲『地獄でなぜ悪い』からの引用だ。

僕はこの歌詞がすごく好きだ。

無駄だ ここは元から楽しい地獄だ 生まれ落ちた時から 出口はないんだ―星野源『地獄でなぜ悪い』

このフレーズは曲が始まってAメロを2回繰り返すうちの2回目で(そういう意味ではさりげなく)出て来るのだけど、まず文頭で「無駄だ」と言い切るところがいい。

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僕の世界観は構造主義的で、決定論的だ。世界に様々な要素がまずあって、自分は網目状に絡まりあう世界の複合的な効果のひとつとして存在するに過ぎないと考える。

自分が主体的にできることなんてまずないし、少しでも主体的にできると思っていることすら、そうして「自分が主体的に行動しようとする」のは世界の効果に過ぎない。それを生み出したのは自分ではない。

作詞者(星野源さん)の意図がどこにあるのかは別として、僕は「無駄だ」という唐突な宣言に、人間の無力に対する潔いあきらめを読み取る。

そして「ここは元から楽しい地獄だ」と来る。

「元から」は先に述べた無力感と連続している。自分が好むと好まざると、世界は元から存在する。自分は後からゲームに参加したに過ぎない(しかも自分の意思にもとづいてではなく)。

「世界は元から存在して自分はその効果に過ぎず主体性などというものはない」というと随分後ろ向きで暗い考え方のように思われるかもしれないが、僕にとってこれは素朴な現状認識に過ぎず、そこに「後ろ向き」や「悲観的」などの価値判断は全くない。「水は冷たい」とかと同じだ。

そして、そうは言いつつも、僕らは所詮は限られた情報と理性の主観的な世界を生きていて、運命を事前に知ることはないし世界が自分の手でどうにかできるのかできないのかも実際のところはわからない。

そうすると、結局は、基本的に自分にはどうにもならないし自分のせいでもない地獄であることを前提として、あとは多少何かできるかもしれないしできないかもしれないが自分なりに試行錯誤して楽しく生きていくだけだという案外楽観的で気楽な態度も導出できる。

考えてみたら「あなたは無力なんです、あなたには世界をどうにもできないんです」と言われたら、いちいち自分の無力さに落胆し絶望する必要がない。人生にはつらいこと嫌なことは多いが、それを前提に、少しでも楽しくなるように生きてみるだけの話だ。

逆に「あなたには無限の力があって、世界はあなた次第なのです」と言われたら、これこそしんどい。どれだけ頑張ったところでまだまだ自分には無限の可能性があり、人生がしんどくて職場がブラックで世界から戦争がなくならないのは自分が悪いせいなのだ。

それが本当なら、そう思うより仕方がない。でもそうではない(僕が血の滲むような努力をしても世界から戦争や虐待やいじめをなくせる確率は限りなく低い)。

まずは「無駄」で「地獄」から始めよう。

その上で、チキンラーメンに玉子を乗っけたらおいしいかもしれないし、愚痴を聞いてあげたら友達が喜ぶかもしれないし、ヴァイオリンを始めたら意外に才能があるかもしれない。

つらいときは単純な温もりだけを思い出して、気が向いたら楽しいことを探していこう。

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