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誰にもなれない私の話

人間をやって今年でやっと36になるが、やっとこ世界に自分をフィットさせられるようになった気がする。

子供の頃はこんなに長く生きるつもりもなく、世界は私のことを受け入れてくれないと思っているようなどこにでもいる子供だった。

特別な才能もなく、飛び抜けて美しくも賢くもなく、思い切りリッチなわけでもない。
両親は優しく、適度に厳しく、真人間であったし明日食べるものには困らない。恵まれたパターンのダイスの目を引いたとは思う。

ただずっと何かに飢えている。
その飢えは誰かから与えられる何かではなく、自分で掴み取らなければならないということも子供の頃からわかっていた。

これまた凡庸なことだが「何か私にしかできないことをやりたい」という欲求だったのだ。

「何者かになりたい」という言葉がそこらじゅうに溢れ始めたのはSNSが社会の中心になり始めた10年くらい前からだろうか。
当時私はいわゆるパーティーホッパーで、六本木や新宿やどこそこに乱立するタワーマンションに顔を出して賑やかしてタクシー代をもらって帰る、という遊びにちょっとハマっていた。
まだ若くて多少の可愛げや媚びの売り方を覚え始めて私、出される酒はまあまあ飲めたしノリも良かった。
パーティーが終わるまでダラダラ居座るような真似もせず、サクッと行っては適当に連絡先を交換してサラッと帰る気軽な遊びだった。

自分のお金では到底住めないようなゴージャスなマンションの内装を見るのも楽しかったし、東京タワーが輝く高層階の夜景を見ていると普段の仕事の嫌なことも、その時は一瞬忘れることができた。

当然そこで出会うのは男性ばかりではない。
どこかから集まってきた綺麗な女の子たちもたくさんいて、私は彼女たちとも連絡先を交換して色々話を聞くのが好きだった。

東京に来たばかりの子、どこかのモデルを普段やっているのだという子、主催者のカノジョ、etc.
(彼女たちからしてみれば私もその中の「なんだかよくわからんけど酒を飲んでよく喋る女の子」だったはずだ。)

何者でもないモブの一人をやりながら、どうやったらこのモブから役名を与えられるようになれるのかと主催の人を探してはちょっとでも話すようにした。
だいたいの主催者はこう答えた「俺/僕 はお金が好きなんだ」「仕事は金が稼げるかどうかで選んでるよ。そうしたらいずれできる俺の妻や子供たちにもいい生活がさせてあげられるでしょ」(こういう人が必ずしも独身とは限らないのでお嬢様方は言葉を鵜呑みになさらないように)
といいながら肩だの腰だのを抱き寄せてきたり二人で飲もう、とシャンパンを開けてもらったりしていた。

なるほど金か。金は私も好きだ。
というか金に困ることが何より嫌いだ。新卒の時は手取り16万で本当に生きていくのがやっとだったし、今これを書いてるスタバにも当時は入るのがしんどい経済状況だった。
今私が飲んでいるシャンパンもお店で飲めばこのフルートグラス1杯で2200円はするだろう。

では金を持つことが人生の最終目標なのだろうか。そういう人もいるだろう。

そういう人はお金を使わずにずっととっておいて家賃や生活費や食費も交友も切り詰めて一人でお金を持って死んでゆくのが「お金が好きな人」だ。

私はお金を通じて得られる体験が好きなのだな、と自分のお金で数千円のグラスワインをそれこそ六本木で飲みながら気がついた。

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別に中身が当時から変わったわけではない。
ただ、ひとつこの10年で気づいたことがある。
私は自分には何も才能がないと思っていたが、「好きなことのためなら人生を賭けられる」性質は少しは持っているようだ。

そしてそれは、ある時は鎖となり、ある時は飛行機の羽になり私の強すぎる激情に絡み合う。
私はやっと「人生」という盤上に立つことができた。
そしてやっとどんな人も(かつての自分も含めて)モブなんていないと気がつくことができた。

生きてるうちに自分が何物になるかなんてわからない。全く違うフィールドに立つチャンスは何歳になっても与えられる。
そこに踏み入れる勇気と好奇心、まっさらな心があればいい。

「自分はこういう人間である」「こうはなれない」と目を閉じて耳を塞ぐことだけはしてはいけない。

まだ「誰にでもなれる私」のため、「誰かになるあなた」のために。

ねね


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