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ディベートで、深くつながる。

neighborワークショップ。誰もがケアしケアされ得る社会をつくるための学びの場として連続開催中です。

第2回目の昨日は、尾山台タタタハウスにて「ディベート」をおこないました。ディベートとは、自分の意見とは関係なく1つのテーマについて肯定派否定派に分かれて討論するゲームです。

介護やケアについて考える時はとくに「わたしはこうやってきた」「うちの場合はこうだった」と個人的な経験の範囲から出られないことが多いものです。そこをあえて脱して、物事を俯瞰して考えられるようになるのがディベートのいいところ。

さて、今回のテーマは。

議論開始直前に発表です。


『認知症の家族を、見守りカメラで見守るべきか』

認知症で意思決定の能力が下がっている家族の安全を何とかして守りたい、けれど、居住空間にカメラをつけて見られるようにするってどうなんだろ……
そんなモヤモヤにあえて正面から向き合う試みです。

たまたま”肯定派”になった面々。

備忘録として、興味深かった意見を記しておきますね。

賛成派:
・自分の知らない親の姿を発見できる。「実はこんなに歩けるのか!」「ちゃんと洗濯物たたんでる」など。それがケアの質を高める。
・高齢者は暑さ寒さに鈍感なので「暑いから窓開けて」などアドバイスできる。
・徘徊などで迷惑をかけたり、賠償金の発生する事態を未然に防げる。
・技術は進化すると元に戻れない。今後カメラの機能がアップデートされる期待もある。

たまたま”否定派”になった面々。

反対派:
・カメラ設置について本人の意思の確認ができずに(せずに)つけるのは人権を軽んじている。
・カメラで一方的に見守るという感覚はペットと同じで人権が尊重されていない。
・見始めると常に様子が気になり精神的負担が増える。
・カメラで見守っていても何かあったときに実際駆け付けられなければそもそも意味がない。
・「見守って管理したい」という介護側の欲。

鋭い質問も飛びます。
タタタハウスの主・美恵子さんはオーディエンスとして参加。「自分だったらつけてほしい?」と息子に聞かれて即答できなかった、と話してくださいました。

面白かったのは、肯定派も否定派も結論が同じところに向かったことです。深く考えると到達点が寄っていくのですね。

「カメラによる見守りは、できれば避けたい。人に、見守られたい」

それが叶わない社会だからカメラを利用する未来に向かっているわけですが、少なくとも昨日の参加者たちはその方向を望んでいませんでした。

否定派の中には、ご自身の親の住まいに見守りカメラをつけている方がいました。カメラのメリットを充分に理解していたはずです。その上で「チェックするクセがついてしまい、外出中も気が気じゃなくて」とぽろっと本音を教えてくれました。

また、切り込み隊長だった肯定派のひとりは「あれは私の意見というわけじゃないですから!」と終了後に否定派と笑い合っていました。

「いやーーつっこんじゃいましたけどw」

見守りカメラで見守るべきかどうか。
当然、正解はありません。
ディベートでは本質的に守るべきものが徐々に浮き彫りになっていくプロセスがあります。それ自体に価値を感じた時間でした。

参加者の男性は「自分は絶対に見守らないでほしい。徘徊して川に落ちて死んだとしてもそれが本望」ときっぱり。「GPSならいいです。川にいるな、落ちたな、と確認してもらえれば」とも。笑。

じゃあ、わたしはどうかな?

うーーーん、、、見守られたくないな。
でもある程度認知症が進んだら、介護してくれる誰かに「あなたの判断にお任せする」と言いたい気もします。心配してくれる気持ちを尊びたいから。

子世代に苦労させないよう、わたしたちはなるべく早く自分の思いを言葉に出して伝えておくのがいいのかもしれません。

面と向かって話しづらいから、こういう会に親を連れてこようよ!という話も。


次回のneighborワークショップは、6月22日(木)19時~21時の予定です。いつものタタタハウスでお待ちしています!

知ることは、優しいこと。

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