発達障害の人が限界を迎えるのはリセットできないとき

感覚過敏。

マルチタスクの苦手さ。

不注意。

空気が読めない。

よく聞く発達障害の特性。たしかに、これらのどれもが生きていく上で大きなハードルにはなる。でも実は、このどれもが二次障害に直接は関係ない

これまで100人近くの発達障害の人たちの相談に乗りつづけ、一人ひとりの生活や状況を聞き取ってきた。そうこうしているうちに、二次障害の起こりうるタイミングがかなり露わになってきたのでノートとして記しておくことにした。自身の限界を突破してしまい、病院の世話になってしまう人たちが減ることを祈って。


一回のショックやストレスで潰れる人はいない

まず、人間は基本的に丈夫である。

上司に「お前は本当にクズだ」みたいなことを言われても、彼女に「あなたとはこれ以上付き合えない」と言われても、徹夜を一日やってみても、

『すぐには』つぶれたりしない。

いくら強烈なことを言われたって、ぶん殴られたって、不眠不休で働いていたって、すぐに限界は来ない。

じゃあ何が問題なのか。

それは、“蓄積” だ。


発達障害の人はとにかく『切り替え』が苦手なのである。

これは重度の人を支援しているとすぐにわかることだけど、彼らが不穏になるのは活動中ではない。問題行動の9割は、

『活動と活動の間に起こる』。

例えば、部屋で作業をしていたとする。

その後、ドライブに出かけるとする。

支援していてトラブルが起こるのは作業中でもドライブ中でもない。作業を終えてドライブに行こうと施設の廊下を歩いているまさにそのときに起こるのである。


強烈な不安に襲われる

なぜこんなことが起こるのか?

ザックリ言えば①『次の活動への不安』、それと②『注意力のコントロールが不得意』であることが大きく影響している。

「これは重度の人たちの例だから、軽度やグレーゾーンの自分には関係ないんでしょ?」

と思っているのならそれはまちがい。重度の人がある特性は、発達障害が連続体(スペクトラム)である以上、中度・軽度・グレーゾーンの人にも当てはまることが多い。

これを読んでいるあなたにも少なからず『切り替え』の時の問題があるはずだ。

顕著な例としては『お風呂が苦手』というのがある。実は風呂は切り替えの宝庫である。

①『水が一切かからず服を着ている状態』

②『脱衣所で服を脱ぐ』

③『風呂でお湯を浴びる・体や頭を洗う』

④『脱衣所で体を拭いて服を着る』

⑤『脱衣所を出て普段の状態になる』

風呂は切り替えなければならないステップがものすごく多い。切り替えが苦手な人にとってはまさに“鬼門”といってよい。

・・・まんざら人事でないことがわかっていただけただろうか。


話を戻そう。

切り替えが苦手ということは、

・不快な状況を自力で終わらせられない

ということである。仕事をしていて『失敗したかもしれない』という心配がある状態は誰しも経験しているだろう。

発達障害の人は『失敗したかもしれない』を自力で終わらせることができない。

それがどういうことかわかるだろうか?

そう、次のようなことになる。

『1番目の失敗したかも』→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→(今)
     『2番目の失敗したかも』→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→(今)
          『3番目の失敗したかも』→→→→→→→→→→→→→→→→→(今)
                『4番目の失敗したかも』→→→→→→→(今)

失敗したかもという不安・心配が、1番目+2番目+3番目+4番目

という風にどんどん積み重なって(蓄積して)いく。そして(今)感じる負担が何倍にも増えていく。

人間は確かに基本的には丈夫だ。しかし、積み重なり続ける不安や心配に耐えられるようにはできていない。

風船も空気を抜けば何回でも膨らませられるが、空気を抜けなければいずれは破裂する。

それと、同じように不安・心配・ストレスが『終わらせられず』『蓄積し続け』た結果、限界を超えてしまうのである。


『終わらせる仕組み』を。

これだけ聞いていると発達障害の人はなかなかに終わっているように聞こえるかもしれない。

しかし、自力で終わらせられないのであれば、他力や環境の力で終わらせるだけである。

自分ではどうしようもないことは『不安』としては存在し続けられない。

災害時などに身内が行方不明になっている状態よりも死亡したことが確認できた方がまだ心理的ストレスとしては負担が軽いように、『どちらに転ぶかわからない』状況が最も人の心に負担をかける。

関係ないが、葬式や法事などの儀式が存在するのは人の死というショックな出来事を『終わらせる』必要があるからではないだろうか。

これを読んでいるあなたが当事者か保護者か恋人かはわからないが、『不安ごと』や『心配事』をいかに終わらせるかというのを意識してみてほしい。儀式をやってもいいし、とにかく早めにどちらに転んだかを確認してもいい。

終わりよければ全て良し

という言葉は今回取り上げた内容とはだいぶ趣旨が違うかもしれないが、

『終わらせられれば』負担軽し

というようなことを一度意識して仕事なり私生活なりに挑んでみてはいかがだろうか。



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