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わたしの過去生①

わたしはわたしの過去生を覚えています。

正確には、思い出したという方が正しいかもしれません。

現在は「アカシックレコード・リーディング」を通して過去生を見るということもしているのですが、実はもともと、リーディングを学ぶ前から自分の過去生を見た経験がありました。

初めてじぶんの過去生を見たのは15年ほど前、ヨガの後のシャバーサナの時間でした。そのたった5分ほどの間に、わたしはじぶんの過去生の重要な場面を走馬灯のように見たのです。シャバーサナの終わりの合図とともに、気がつくと涙が流れていました。

そこから細切れで何度かその過去生の続きや、違う場面を見ることもありました。そして、3つの重要な過去生を知るという経験をしました。

しばらく時間が経ってアカシックレコードに繋がれるようになってから「あぁ。あの時に見た過去生は無意識のうちに自然とアカシックに繋がっていたのかもなぁ」と思ったものです。

今日はわたしが知っている、わたしの過去生のなかでも一番最近である「ひとつ前のじぶん」について書いてみようと思います。

https://note.com/nei_and/n/n2eced79130da

前回の記事で「何のために過去生を知るのか」ということを書いています。
よろしければこちらもご覧ください。


ひとつ前のじぶん

その日は、ものすごく暑い夏の日でした。

お昼前に、なんだかとっても眠たくてベッドに横になりました。

すると間もなく不思議な感覚がやってきました。体は重たくて寝ているような状態、でも意識はある、そんな変な感覚でした。

2階の部屋にあるベッドで寝ているはずなのに、1階へと階段を降りている映像が見えたかと思うと、フッと軽くなり、ある映像が浮かんできました。


それはアメリカの州国旗のようなものでした(赤字に星が載っているようなデザイン)そして、しばらくすると「ARIZONA」という言葉がやってきました。

いつの間にか場面は変わって、焼け付くような暑い日のテニスコート。日本の夏とは違う、空気が乾いた暑さでした。

周りの風景や車の感じから、時代は1950〜60年代?くらいのアメリカのようでした。

足元を見てみると、自分がコンバースのような靴を履いているのが見えました。

よくよく見てみるとそれを履いているのは17歳くらいの金髪の少年であることが分かりました。名前は、頭文字にJかGが付く名前(ジェイと呼ぶことにします)

ジェイは、学校の活動でテニスをしているごく普通の少年。高校生活を楽しみ、大好きな彼女もいて、その彼女と一緒に高校の“プロムパーティー”(卒業記念パーティーのようなもの)に行くことを、心から楽しみにしているような感情が伝わってきました。

それから急に場面が変わり、ジェイが自分の車で運転をしている場面へと変わりました。

どうやらこの前世での重要な場面のようだと分かりました。


ドーーーーーーーーーーン!!!


激しい衝撃を感じました(ここではその詳しい描写は避けます)

彼は、運転中、車にぶつかったことが原因で亡くなってしまったようです。


その時彼の気持ちが流れ込んできました。

「もっと長く生きたかったこと」
「大人になりたかったこと」
「生きているだけで幸せなのだということ、それだけで十分だということ」
などなど、、

彼の思いがバーーーッと一気に伝わってきて、涙がとめどなく流れました。

当時のわたしは心身の状態がよくなく「なんのために生きているのかわからない」と思っていた頃だったので、ジェイの「生きているだけで十分幸せ」というメッセージがとても心に響きました。

そして、ハッと気がついて目を開けると、そこは元いたベッドでした。


後から調べてみると、わたしが見た州国旗は確かにアリゾナ州のものでした。

その数年後に「フェニックス」という都市の名前を聞いた時に、とても懐かしい気持ちになり、調べるとそれもやっぱりアリゾナ州でした。きっとジェイは、アリゾナ州のフェニックスという都市にいたのでしょう。

いろいろ思い返してみると、わたしは小さな頃から英語が好きで、欧米への憧れがとても強い子どもでした。小さな頃のお絵描きにも、なぜか欧米人の男の子がよく登場していました。

また、じぶんが高校生のとき「プロム」への憧れが半端なく、映画でプロムの場面を見ては胸を焦がしていました。そして同時になぜかとても切ない気持ちになっていたのです。とにかく、絶対にプロムに行きたかったのです(ちなみに中学はテニス部)

そして、わたしは車の免許は持っているのですが、運転が怖いのです。

後から考えてみると、わたしが見たものは「ひとつ前の前世」で、何百年も前の前世ではなく、わりと最近のものだからなのか、今の自分へとリンクしていることが多いことに、とても驚きました。


それから1年ほどたったある日。

自宅でヨガのシャバーサナ後にごろごろしていると、ふと、ある想いが浮かんできました。

「1950〜60年代ごろに高校生だったのなら、生きていれば70代〜80代。親は亡くなっていたとしても、友人たちや当時の彼女、兄妹がいれば彼らはまだ生きているかもしれない、、」

「両親も、早くに息子を不慮の事故で亡くしたことをきっと深く悲しんでいただろうな。。」

そう思うと、なんとも言えない気持ちが込み上げてきました。

でも

「わたしはいま、生きている。」

ジェイは若くして亡くなったけれど、たましいが生まれ変わり、いまは“わたし”になって生きている。

それぞれの、たましいの経験を積み重ねていく。そんな、たましいの転生を感じて、不思議な気持ちになりました。

わたしは、わたしの人生を大切に生きよう、そんなふうに思ったのでした。

「ジェイは今、ジャパンのMIKAに産まれ変わっているよ〜〜!人生いろいろあるけど、それなりに楽しく幸せに生きているよ〜〜〜」

そう思いながら、どこかで生きているかもしれない、じぶんの過去生の愛する人々に愛と祈りを送ったのでした。

ざっくりとですが、これがわたしの覚えている前世の一つです。

そして、実はこの話にはまだ続きがります。長くなってきたので、それはまた今度◎

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

mika

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