サガイ・ナイン農民虐殺事件の真相──第2回 封印された土地紛争

 フィリピン西ネグロス州北部に位置するサガイ市のサトウキビ大農場ネネで、その農場で働く9人の労働者がブンカラン(*1) の初日に殺害されたサガイ・ナイン農民虐殺事件。この事件の背景には、地主に所有され続けている土地の分配をめぐる争いがあったわけだが、今回は、国家警察がこの土地紛争の問題についてどのように発言していたかについて検討する。

 国家警察や国軍は、一連の発言をとおして土地紛争に関する争点をずらしたことが明らかになってくる。この事件を契機に、法と制度に則り土地の分配を求める農民たちの訴えにブレーキがかけられた。国家警察が何を守るための政治的装置かがこの事件で浮き彫りになったと言えるだろう。フィリピン政治史における象徴的な事件となった。

 「プロローグ 阻まれる農地分配」では、この事件の背景にあるフィリピンの根深い土地所有の問題と被害者たちが直面していた土地紛争についてお話しした。「第1回 『vs.共産党』という構図の流布」では、フィリピン治安当局が一連の発言をとおして、「事件の背後にはフィリピン共産党とその軍事部門新人民軍がいる」と情報の受け手をミスリードしたことについて述べた。

スクリーンショット 2020-12-26 21.36.32

【写真説明】ネグロス島の最大都市で全国砂糖労働者連盟などによるデモ。砂糖労働者の殺害やサガイ・ナイン事件などに対して抗議の声をあげた=いずれも2019年2月、フィリピン・西ネグロス州バコロド市

治安当局の発言と現地からの情報との間にある食い違い

 まず、治安当局の発言を振り返る。

▶2018年10月22日
 西ビサヤ地方のジョン・ブララカオ警部は「数年前民間防衛隊(CAFGU)(*2) のメンバーと全国砂糖労働者連盟メンバーとの間に紛争があった」と述べた(*3)。 ▶2018年10月23日
 国家警察長官オスカル・アルバヤルドは「殺害された9人は、法律上、殺害現場となった農地の耕作人ではなく、全国砂糖労働者連盟のメンバーになったのもつい最近のことだ」と述べた。「そのため、被害者たちは、法律上耕作権を持つ人物の怒りをかったのかもしれない」とアルバヤルドは続けた(*4) 。
▶2018年10月24日(以下、フィリピン・ニュース・エイジェンシーの報道(*5) )
 西ネグロス州第三選挙区から選出された元下院議員アルフレド・ベニテスは「この事件の背景に土地紛争があるとまことしやかに語られるが、いささか当惑している」と述べた。
 ジョン・ブララカオ警部は「これは土地紛争の問題であり、容疑者はその土地に関心があったのかもしれない」と言った。また彼は、「地主が依頼した殺し屋、被害者たち以外の合法的に土地の権利を持つ者、共産党軍事部門新人民軍という3つの観点から捜査している」と報告した。
▶2018年10月30日
 被害者の姪が、「被害者たちと、被害者たちが加盟する全国砂糖労働者連盟サトウキビ大農場ネネ支部のマンランギット議長(*6) は土地のことでもめていたので、おじがブンカランに参加したことに驚いた」と述べた(*7) 。
▶2018年11月10日
 サガイ・ナイン事件の特別捜査グループは、「サトウキビ大農場ネネの34.59ヘクタールの土地は、すでに、カルメン・デラ・パス・トレンティーノによって、25人の個人へ贈与されており、アラン・シンビンコがその賃借人である」と述べた(*8) 。

 次に、発言の信ぴょう性を検討する。

対立する主張:土地紛争の当事者について

 まず、国家警察の言う「被害者とマンランギットとの間にあった土地紛争」「もう一つの土地争奪戦」について検討しよう。マンランギットは、全国砂糖労働者連盟サトウキビ大農場ネネ支部の議長として、被害者たちが実行したブンカランの中心的な人物だ。さらに、このサガイ・ナイン事件の容疑者にされている。

 全国砂糖労働者連盟は、上記の国家警察による発言を否定している(*9) 。

 また、これまでの回においてお話ししたように、被害者たちは、マンランギットとアルケリオ二人を中心として、2012年に全国砂糖労働者連盟サトウキビ大農場ネネ支部を結成した。ここを拠点にして、包括農地改革計画に則った農地分配の要請を開始した。詳細は「サガイ・ナイン農民虐殺事件の真相──プロローグ阻まれる農地分配」を参照してほしい。

 このとから、被害者たちとマンランギットとの間に土地紛争があったとは考えにくい。

対立する主張:土地分配の対象者について

 国家警察の「農地改革省は、被害者たちが包括農地改革計画の対象にならないと認めている(*10) 」という発言は、事実に反する。包括農地改革計画の受益者になるには、同計画対象地の所有者と雇用関係にあることを明らかにしなければならないが、実際、農地改革省は、被害者たちがこの農場の労働者であること、また、事実上トレンティーノが地主で、トレンティーノには農地分配の義務があることを知っていた。

 まず、なぜ、農地改革省は被害者たちがサトウキビ大農場ネネの労働者であることを知っていた、と言えるのかについてお話ししよう。

 通常、労働者が包括農地改革計画に則った農地分配を農地改革省へ求めると、同省は地主に対し、過去3年分の賃金支払い簿を提出するよう求める(*11) 。農地分配を求める者が地主に雇用された農場労働者であることを確認するためだ。

 農地改革省に提出されたサトウキビ大農場ネネの賃金支払い簿には、ブンカランに参加した32人のうち5人の氏名が記載されていた(*12) 。ゆえに、少なくとも5人がサトウキビ大農場ネネの労働者であることを農地改革省は知っていた。

農地改革省は知っていた

 次に、なぜ、「農地改革省はトレンティーノには農地分配の義務があることを知っている」と言えるのかについてお話ししよう。

画像2

【写真説明】農地改革省事務所であったサトウキビ大農場の労働者たちと農地改革省の意見交換。労働者たちは包括農地改革計画を進めるよう要請した。こうした意見交換会は定期的に開催されている。右上の白いワイシャツの男性が農地改革省職員=2019年2月、フィリピン・西ネグロス州バコロド市

 賃金支払い簿の提出者は、シンビンコという人物だった。シンビンコは地主から土地を借り、労働者を雇用してサトウキビを栽培し、収穫している。土地の所有者が農民を直接雇用しているのではなく、別の人間がその間に介在する「間接統治」の形態を採っているのが特徴だ。こういった形式は、珍しくない。

 サトウキビ大農場ネネの農地は、25人に贈与されたことになっていて、これまで包括農地改革計画の対象外とされてきた。ということは、借地人シンビンコは、その25人から農地を借りているはずだ。だが、シンビンコは、定期的に開催されていた全国砂糖労働者連盟と農地改革省との対話の場で、「地主のカルメン・トレンティーノから自分は農地を借りている」と述べた(*13) 。

 この彼の発言は、非常に重要だ。

 なぜなら、トレンティーノが農地改革省にしてきた説明内容と明らかに異なるからだ。トレンティーノは「サトウキビ大農場ネネは25人に贈与したので、包括農地改革計画の対象地にはならない」と主張してきた。さらに、農地改革省も被害者たちに、同様の説明を再三再四し、農地分配を諦めるように言ってきた。それを理由に、同省は、当該農地を過去3回(2001年、2012年、2014年)にわたり包括農地改革計画の対象地に指定しながら、それを取り消すということもしてきた(*14) 。

 つまり、借地人シンビンコの発言は「32人が分配を求めてきた土地を包括農地改革計画の対象から外す」という同省の決定の根幹を、否定したことになる。借地人シンビンコの発言を正しいとするならば、トレンティーノは国の機関に嘘をついたということだ。

 重要なのは、「地主のカルメン・トレンティーノから自分は農地を借りている」とシンビンコが発言した場に、全国砂糖労働者連盟のメンバーだけでなく、農地改革省の役人もいた、ということである。「25人への贈与」には実態がない。さらに、この贈与が農地分配を回避するための地主の言い訳、ダミーだということを、農地改革省は知っていた。

国家警察や国軍による争点をずらし

 国家警察や国軍の発言はどんな効果があったのか

 治安当局の発言をまとめてみよう。

 国家警察や国軍は、「土地争奪に関心を持つ第三者が容疑者かもしれない」「被害者たちと全国砂糖労働者連盟サトウキビ大農場ネネ支部の議長のマンランギットの間に土地紛争があった」といった根拠も実態もない情報を流布した。

 他方で、「当該農地は25人へ贈与されている」という事実上の地主トレンティーノ側の言い分のみをおおやけにし、「トレンティーノが主張する25人への贈与には実態がない」と被害者たちが6年もの間訴え続けていたことに言及しなかった。

 しかも、国家警察は、「被害者たちと民間防衛隊との間に紛争があった」と述べたが、実際に起こっていたことは、地主トレンティーノが雇用した民兵による被害者たちへの脅迫だった。

 一連の発言をとおして、国家警察や国軍は、土地紛争に関する争点をずらすことに成功した。それによって、トレンティーノが「25人への贈与」という方便を使って農地分配を免れてきた事実、また、被害者たちがその詐欺と呼べる手法について抗議し、真相究明を求めてきた事実を封印した。

 この事件の後、サトウキビ大農場ネネ支部の活動は一切停止した。殺害の真相究明を訴える者も、「25人への贈与」の真相を追究する者も、農地分配を求める者もいなくなった。この事件で最も得をしたのは誰だったのか。

 最後に確認しておこう。実際に存在する土地紛争はこうだ。

 被害者たちを含む全国砂糖労働者連盟サトウキビネネ支部の32人のメンバーは、トレンティーノが実態のない「25人への贈与」という方法を使って、この34.59ヘクタールの農地分配を回避したことについて抗議していた。しかも、彼らがその「贈与」の真相を追究し始めて以来、被害者たちは地主の民兵に脅迫されていた。詳細は、「サガイ・ナイン農民虐殺事件の真相──プロローグ阻まれる農地分配」を参照してほしい。

 次回は、「目撃者」に関する国家警察の発言について検討する。

=つづく

脚注

*1) 地主から分配されるはずの土地が分配されないために、農場労働者がその土地に自家消費用作物を植える抵抗運動。
*2) 国軍、警察と協力して緊急時に治安対策にあたる。6万人いる。(出典:片山裕「国軍 文民統制の伝統」大野拓司、寺田勇文編著者『現代フィリピンを知るための61章【第2版】』明石書店、2009年、109頁。)
*3) PNP eyes land dispute, NPA’s hand in farmers’ slay in Negros Occidental, Inquirer news, October 22, 2018. (Retrieved November 8, 2020, https://newsinfo.inquirer.net/1045476/pnp-eyes-land-dispute-npas-hand-in-farmers-slay-in-negros-occidental)
*4) Albayalde: NPA used farmer’s group in Sagay slay case as legal front, Inquirer news, October 23, 2018. (Retrieved November 8, 2020, https://newsinfo.inquirer.net/1045922/albayalde-npa-used-farmers-group-in-sagay-slay-case-as-legal-front)
*5) Gov’t provides aid to Sagay 9 kin; House probe sought on massacre, Philippine News Agency, October 24, 2018. (Retrieved November 8, 2020, https://www.pna.gov.ph/articles/1051977#:~:text=Philippine%20News%20Agency-,Gov't%20provides%20aid%20to%20Sagay%209%20kin,House%20probe%20sought%20on%20massacre&text=BACOLOD%20CITY%20%2D%2D%20President%20Rodrigo,through%20due%20to%20bad%20weather).
*6) 前回も述べたように、マンランギットは、全国砂糖労働者連盟サトウキビ大農場ネネ支部の議長として、被害者たちが実行したブンカランの中心的な人物だ。さらに、サガイ・ナイン事件の容疑者にされている。
*7) Sagay victims finally laid to rest, one family narrates NFSW deceit, kalinaw NEWS, October 30, 2018. (Retrieved November 8, 2020, https://www.kalinawnews.com/sagay-victims-finally-laid-to-rest-one-family-narrates-nfsw-deceit/).
*8) Police probes landowners, donees in Sagay 9 massacre, Philippine News Agency, November 20, 2018. (Retrieved November 8, 2020, https://www.pna.gov.ph/articles/1053497).
*9) 全国砂糖労働者連盟へのインタビュー、2020年11月、オンライン。
*10) NegOcc massacre part of 'Red October' plot: AFP chief, Philippine News Agency, October 25, 2018 (Retrieved November 8, 2020, https://www.pna.gov.ph/articles/1052069)
*11) 全国砂糖労働者連盟へのインタビュー、2020年11月、オンライン。
*12) 全国砂糖労働者連盟へのインタビュー、2020年11月、オンライン。
*13) 全国砂糖労働者連盟へのインタビュー、2020年11月、オンライン。
*14) 2010年10月、全国砂糖労働者連盟より入手。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?