根岸人物誌(五十音順 鶯谷 日暮里 金杉)とは? 各巻目次

昭和34年1月27日に東京都立日比谷図書館所蔵となった4巻ものの和綴じ本
 

*概要


巻之一 人物之部(五十音順) 一  (見開185ページ) 163名
巻之二 人物之部(五十音順) 二  (見開169ページ) 145名
巻之三 人物之部(順序不同) 全  (見開148ページ) 385名  延べ693名 重複除き611名
巻之四 地誌之部       全  (見開 77ページ) 59のトピック
                 計 見開579ページ  
 

*「人物之部」にはどんな人物が出ている?


根岸、鶯谷、日暮里に一時的にでも在住した人の名とその人の略伝
何度も繰り返し登場する人は・・・・
6回 浅田宗伯(文化12年- 明治27年 漢方医。将軍家典医。浅田飴の浅田はこの人の名に由来する)
3回 北尾重政(元文4年- 文政3年 浮世絵師 下根岸在住)
3回 寺門静軒(寛政8年- 慶応4年 儒学者 「江戸繁昌記」 中根岸 西蔵院北隣)
3回 竹柴其水(弘化4年- 大正12年 歌舞伎作家 河竹黙阿弥の高弟)
3回 原 徳斎(寛政12年-明治3年 儒学者 2代目柳川重信と兄弟 谷中本村 芋坂下)
3回 多田三弥(-大正11年 村の童に算術を教える 日暮里村金杉 音無川畔 おまじない横町) 
遊女今紫(吉原芸者から舞台女優)、男谷平蔵(勝海舟の祖父)、太郎右衛門(農夫)、平蔵(親孝行者)など

*登場人物の住んでいた場所は?

(確定可能 404人)
上根岸 144人(35%)      中根岸 98人(24%)    下根岸 57人 
日暮里村 80人           桜木町(鶯谷)25人
 

*登場人物の仕事は?

(確定可能 611人)
画家(日本画、洋画) 157人(25%)      金工師・技工師・職人 64人(10%)
役者(歌舞伎俳優、能楽師、新劇俳優) 55人    儒学者・国学者 52人
俳人・歌人 43人、幕臣・官僚 31人、書家 27人、小説家 26人、医者22人、三味線・長唄20人
 

*執筆にあたっての参考文献や情報源は?

譚海(津村正恭著)1795年(寛政7) から東京市史稿変災篇や浮世の有様(矢野太郎編)1917年(大正6)まで
およそ150点以上
聞き書き 巻之三 青山、河辺、木本、二世五姓田芳柳、横尾 話
巻之四 河辺しま子、河野賢之助、河竹糸(河竹黙阿弥の長女)、小泉夾子吉 話
所蔵物(印章、サイン)  巻之二 石川氏所蔵 / 巻之四 尾佐竹猛氏の珍蔵
 

*いつごろ書かれた?

大正期に成立したもの。1~4巻にかけて大正11~14年の記述もみられる。
記載されているトピックで新しいものの記述は
④-70 大正12年9月24日 午後2時より西蔵院にて関東大震災の中根岸での犠牲者11人の法要
③-69 大正13年9月 中道の豪邸に暮らした政治家で俳人角田(つのだ)竹冷の息子、角田竹夫が上中里に移る
③-70 大正13年11月24日 阿竹糸 死去 75歳
④-75 大正14年8月号 郊外 根岸夜話(水島爾保布)

*載っていていいはずなのに載っていない人がいる!

★大槻文彦、大槻如電(ジョデン)
③-5 榊原(さかきばら)芳野 の稿に「明治14年12月4日没す。享年89。浅草今戸安昌寺に葬る。嗣なし。友人大槻修二(*如電のこと)、文彦の兄弟・事を続・し、その蔵書を書籍館に納む」とある
この蔵書は、明治16年(1883)、国会図書館の前身である東京図書館へ一括寄贈され、「榊原文庫」と呼ばれる。「榊原文庫」は、寄贈時の記録では1487点、6157冊。ほとんどが江戸以前の和書で、国語・国文学・国史を主に、有職故実・地誌・遊芸など広い分野にわたり、国会図書館の古典籍コレクションの基礎となっている資料群である。
★石川文荘(在野の学者 -1943)
②-野々山緱山(ののやま こうざん)の稿の印章に「石川氏所蔵」とある。
石川の書で「根岸人物誌序」(江戸期の書物から根岸にかかわる記事をまとめたもの)というものがあり、また本書で参考文献として多く引用されている「台北人物誌」「下谷人物誌」も石川のまとめたもの(この文書は大震災で焼失したもよう:市川任三「根岸及近傍」第1編)
★水島爾保布(におう)
②-122に父 水島慎二郎は出ている
★森鴎外、★高橋健三(官僚、岡倉天心と親交)、★太田謹(上野帝室博物館職員)、★平坂閎(根岸近傍図発行人)

*誰がなんのために「人物誌」を書いたのか?

1)岡野知十説(①-67 項目あり)
1860年北海道日高生まれ 俳人 
1913(大正2:53歳)年10月(本郷区弓町から?)上根岸82番地に転居
1915(大正4)年5月 中根岸47番地に転居 「鶯日居」と称して終の棲家に
1932(昭和7:73歳)年8月13日胃がんで死去
 
江戸文化が趣味(河竹糸とは親しそう)、俳句関係で角田竹冷とも関係。
でも根岸に関する陳述皆無。動機が希薄。
 
2)水島爾保布説
(水島の父 水島慎二郎 ②-122 一介の公務員なのになぜか項目あり)
1884(明治17)12月8日 下谷区根岸生まれ 画家、版画家、小説家、随筆家、童話作家、食道楽家、旅人
父は水島慎二郎、母ははる
長男 爾保布(におう)、次男 佐久良、三男 獅子吼(のちに新三に改名)
長女 雪松、次女 香須美、三女 琴柱(ことじ) ほか 潮音、百千など。
1902(明治35) 東京美術学校入学 途中休学
1906(明治39)9月 美校に再入学し、寺崎廣業(②-36 鶯谷在住、弟子も人物誌に4人登場 野田九浦・吉岡華堂・鳥谷幡山・益田柳外)に師事
1908(明治41)美大卒業 その後帝展3度入選
1909(明治42)根岸小学校の同窓生の山室福(幸子ゆきこ とも明治19生)と結婚
福子の姉 孝は画家 高屋肖哲(狩野芳崖の弟子。自ら「仏画師」と称して市井の画家として生きた)に嫁ぐ
1912(明治45)長男太郎生まれる(のちの行樹、今日泊亜蘭) 続いて長女 花子、次女 豊能(とよの)
大阪日日新聞、東京日日新聞に入社するも1918(大正7)に退社
1920(大正9) 中根岸29番地に住む その後根岸内で引っ越し
1926(大正15:42歳) 根岸から西ヶ原へ引っ越す(「我等」7月号に記述) 戦後は新潟県長岡へ転居
1958(昭和33:74歳)12月30日没
 
「愚談」(大正12年5月15日刊行)の文章ににじみ出る根岸愛
また「根岸人物誌」の年代的に最後の記述は「大正14年8月号 郊外 根岸夜話(水島爾保布)」というもの。根岸を離れる年と「人物誌」更新終了年が近い。死亡年と「人物誌」の寄贈年が近い。
★「時事新報 目録文芸編大正期」によると時事新報には大正15年8月2日より7日まで全7回で随筆「根岸夜話」(水島爾保布)が載っている。
 
3)大槻 文彦説(項目ないが③-5 榊原芳野 の稿で言及あり) 
1847(弘化4)年木挽町生まれ 国語学者 本初の近代的国語辞典『言海』の編纂者
1881(明治14)3月27日 浅草今戸町21番地に転居
1882(明治15)9月 言海、浄書を始める
1884(明治17)10月15日 金杉村216番地に転居
1887(明治20:41歳)11月13日 金杉村130番地に転居(同所は後に下谷区に編入され、上根岸110番地に改称)
1890(明治23) 11月 次女が結核性脳膜炎で死去、 同12月 妻が腸チフスで死去
1891(明治24)6月23日 言海完成の祝宴(芝公園紅葉館)
1892(明治25)3月 上根岸110番地より岩手県中里村中里199に転籍。宮城県尋常中学校長、宮城県書籍館長に。
1895(明治28)12月15日 仙台より上根岸110番地に戻る
1901(明治34)1月 根岸及近傍図を発行
1901(明治34)8月9日 日暮里村大字金杉字中村258番地の新居に(雨松軒)
1928(昭和3:80歳)年2月17日没 80歳
1928年夏、御行の松枯死
 
「言海」の編集に忙しくてこんなことを書いている暇はないと思いつつも、御行の松に関して愛のこもった小冊子を作っていたりするし、「根岸及近傍図」は大槻の編集。明治30年代には第2期根岸倶楽部を率いていた。死亡年と「人物誌」更新終了年が近い。
 
4)石川文荘ほか在野の研究家
 

根岸人物誌 巻之一 あ~そ(人物之部)

根岸人物誌 巻之二 た~わ(人物之部)

根岸人物誌 巻之三 順序不同(人物之部)

根岸人物誌 巻之四(地誌之部 全)


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