ヒロアカ炎上の件について

今週、週刊少年ジャンプのある漫画がネットで話題になりました、悪い意味で。

タイトルは「僕のヒーローアカデミア」、TVアニメ化もされており劇場版も人気のようです。そんなヒロアカですが、今週号のジャンプに掲載された最新話に登場したキャラクターの名前が物議を醸し出しました。

そのキャラクターは表向きには大きな病院の医者ですが、実は悪側の人間で死体を利用した改造人間を作り出す人物だったのです。で、その名前が「志賀丸太」。それだけだとふーん、で終わってしまう人が大半でしょうね。なので、少し話を変えます。

その昔、第二次世界大戦で日本軍はある組織を作りまして、その中で捕虜を使った人体実験をやっておりました。この事自体は知らない人は知らないかもしれませんが、戦後の早いうちからその組織の存在や活動内容については調べたらわかる、というもので、その史実を題材にした創作物も結構世に出ています。ダイレクトなところでは漫画の「覚悟のススメ」で主人公が身にまとう強化外骨格という鎧はまさにそのもので、他にも遠藤周作の「海と毒薬」もそうですね、他にも色々とあります。そういう意味では創作物のモチーフとしてはそれなりに有名なものなのでしょう。

そして、その組織の元メンバーの証言で人体実験の犠牲者のことを「丸太」と呼んでいたそうです。なぜ、人間を丸太と呼んでいたかは知りませんが、その史実や関連の創作物を知っている人間であれば、「丸太」が人体実験の被害者の隠語である、というのは周知の事実なのでしょう。

でと、今回のヒロアカで深く結びつきのある設定と隠語が結びついた訳でして。それについては集英社は作者も担当の編集者も知らず、たまたまそういう繋がりがある事を指摘を受けて初めて知った、と主張し、当初は単行本での名称変更を、後に謝罪までしました。

でと、今回はこの指摘をしたのが隣国の方で歴史問題(とかの国では主張している)として大きく抗議活動にまで発展しております。ただ、このヒロアカは本来、隣国では正式には展開しておらず、指摘者は違法サイトからダウンロードして読んだのでは?という話や、元々ネット上では隣国との関係性が悪化傾向であったりしているため、日本もファンを中心に擁護や反発の声を高めており、双方が引かない炎上ぶりとなってしまいました。

で、ここからは私の意見と主張です。

まず、個人的に注目したいのが、このキャラの劇中での扱いなのですが、少なくても主人公サイドの味方のいい人ではなさそうですし、むしろ敵側の中核人物の一人という事で、これから劇中でなんらかの制裁を受ける事になるという立場です(ただし、次回やその次、ではなく、もう少し先の話になるかもしれませんが)。また、ジャンプ漫画によくある「悪だけど魅力的で時には憧れさえ抱いてしまう」キャラでもなさそうです。まぁそんな悪役に、歴史的にみてよい印象を与えるような名前をつけるのもどうかと思いますし、創作物の一般論としてみて今回のネーミングは、確かに趣味はよくないけれどもそこまでの悪手でもないかな、と思いますよ。

次にこの作品固有のお話ですが、この作品を読んだことがある人は知っていると思いますが、登場人物の大半が異能の力である能力の持ち主で、しかもなぜだかその能力の特質を表すような名前がつけられています。この事は登場人物の誰一人としてツッコミを入れていませんが、その世界に生まれて住んでいると案外気がつかないものなのでしょう(ある意味「真名」みたいなもんなんですかね)。そういう設定的な背景があり、その事を作者と読者で共有しているのですから、読者は新キャラの名前について、他の作品のキャラの名前以上に意味を勘ぐってしまいます。なので、医者で裏で人体実験をしているキャラの名前に「丸太」なんてつけたら、その意味について考え、史実と結びつけてくる人は必ず出てくるでしょう。もし、ここで本当に作者や担当編集が史実を知らなかった、とすれば、それは流石に行って然るべき努力を行っていたな、と思います(「人体実験 丸太」というキーワードで検索すると、今回の炎上事件の前から史実の事が検索結果に出てきていた。)。しかしながら、本当のところは事前に知らなかった、というのはその場しのぎの言い訳であり、その史実を踏まえて意図的に行ったメーミングだった、と邪推しています(この辺、別の漫画家の名前由来ではないか、という説も出ていますが、どちらも正解、じゃないですかね)。

次に批判の内容ですが、そのキャラの名前と設定で史実を思い出されて傷ついた、というものですが、これは正直わかりかねます。人類はかつて様々な非道残虐な行いをしてきましたが、当時は無理でも後世で反省しその事を繰り返さないようにしよう、と進んできたはずです。だから、直接の被害者の方々が思い出してしまうとひどく傷ついた、というのはわかりますが、そうでない後々に史実を受け継いだ人々はそれを繰り返さないように忘却の彼方に葬り去らずに、時折しっかりと思い出すべきだと考えています(原爆や虐殺もそうですね)。

ですので、結論ですが、今回の件は集英社も作者も史実の当事者でもないのだから、謝罪よりも確固たる意志で、そのネーミングの意図を説明し、今後、史実のような非道な行いを二度と起こさないように創作を通じて世に働きかける、という宣言が適切だったと思いますよ。その場だけで見た時に仮に人が傷つくような表現があっても、その物語が最終的にどこに向かってどう着地するのか、その事で途中で傷ができても、人は傷を乗り越えて、より高くより遠くへ行く事ができると思いますし、その作品の趣旨としてはあながち間違いでもないでしょう。

それと、今回、この件で「表現の自由」についても絡めて話をしようかと思いましたが、それはそれ、また別件が発生したため、話を分けたいと思います。

それではまた、お互い、気が向いた時にでも。


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