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鍋の季節

2022年12月某日。朝の小さなきっかけで、1日中めぐって悩んで情けなくなって反省とここ最近の不調に気づくことになった日。なんだか整ったのでここに書き綴ってみる。見せるための文章ではない、自分用に。

最近、自信を失っている。
そのうえ、周りの勢い良い人と話しているともっと悲しくなるし
妬み嫉みか、いらいらすらするので、遠ざけてすらいた。
なんで自信がないのか、なんで人と比べてしまうのか、斜に構えてしまうのか、素直になれないのか、文句ばかり出るのか、意地悪な考えになってしまうのか、人のせいにしてしまうのか
それに直面するようなストレスから逃げるために、あらゆる接触を避けて、自分のテリトリーの中で、すきな時間&酒に逃げていた。そしたら5キロも太った。おでこと眉間のシワが目立つ。白髪も増えた。そして何より、周りに気を遣わせてしまってもいた。

争いごとをしたくない平和主義と思っていたけど、なんか違う。ただ、持論を話すほどのこだわりもないし、根拠もないのに、相手からばーっと論破される感覚が情けなくなるだけなんだと思う。負け犬のとおぼえ

仕事のこと、シェアハウスのこと、未だに慣れない。仕事は慣れてきたせいか、基本的に「こうなればいいのに〜」が多くて、挙句の果てにはぶつぶつ文句を言っている。口だけいっちょまえで、行動も結果も伴っていないことはわかっている。
今はとりあえずこのやり方に合わせて、来年…って。
そして、仕事のこうなればいいのにって、大半は「前職のやり方でやりたい・こっちの方がやりやすい」って思ってこだわっているだけなのね。なんかすごい傲ってるんだけど、「絶対こっちの方が効率良い」「絶対こっちの方が管理しやすい」とか、変えてやろう!くらいの思いでやって、それでもあまり受けられなかったぽい時は、勝手に落ち込む。
すごーく小さなマイナーチェンジなのに、物凄い大事を成し遂げたような労力を使って疲労。私って仕事遅いなー。全然できないなー。

「昔ながらのやり方を変えてやろう」って高をくくって天狗な私がいたことに気づいたんだけど、私こそ昔のやり方にこだわって前例主義な脳カチカチ何もできない新しいことに馴染めない視野狭おばさんじゃんか。はー、やだ。
もう一回言いたい、北海道の田舎地元から来た、無能な頭カチカチ視野狭おばさん。
自分軸になり過ぎていた。W杯サッカー見ていても思う。すごいなぁ、自分もドリブルしながら、よそ見して誰がどこにいるか、誰が次どう動こうとしているかを瞬時に捉えたりしている。本当に視野広い。

本当にここ最近の私は、ダメなところばかりが見えてしまって小姑のようにチクリチクリしていて、ピントがキューって絞られ過ぎていたようだ。
これだから保健師の経験者採用はクセが直らなくて面倒なのよって思われるのも良く分かった。(世間的にそうなのかはわからないけど、30歳まで年齢制限してるからそういうことかと思って)
本当に視野狭い。こだわり強い。新しいことに億劫になる。謙虚さがない。感謝も足りない。
一緒にやってくださる同僚や、受け入れてもらえる場所、仕事があることなどなど、色々と当たり前になってしまってもいた。
あと、これまでも今も私は先輩に恵まれてきたと思う。理想や憧れる人がちゃんといて、その人のようになりたいと思う方がたくさんいる。その憧れとかけ離れている自分が見えて、苦しいのかもしれない。

変えようとしているから、うまくいかなくてイライラしたり、落ち込むんだけど、変えようなんておこがましいことしないで、自分の見方を変えるしか、このストレスから逃げるしかできない未来を変えることはできないのよ。

ってこれ、めっちゃ青年海外協力隊の1年目の壁といわれていたことと一緒で、これまた協力隊経験とかわかってるつもりでいたけど、やっぱ私は3か月選手だったんだな、これ経験してないもんな。って思った。

友人から、なべに誘ってもらって嬉しかった。
けど、苦手な人を誘うか聞かれたときに、どう反応したか忘れたけど気まづく、うー--ん、と悩んでしまい、じゃあやめようって言わせてしまった愚かな私。そのあとも、すごくそのことに捉われて考えた。
そのおかげで上記のような、率直な自分のごちゃごちゃした毒に直面することができた。もう相手も変わらないし、私がすこしずつ食わず嫌いを克服する…咀嚼して苦い中の何か1つでも見つけるまでやってみなきゃいけない。
逃げているもの、人にこそ大切なものがあるのではないか。とか思えるようになったり。
しかし思うことだけで、翌朝から行動を変えるっちゅうのはまた別の話なのよ。

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