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1970年開催の大阪万博会場へ53年ぶりに訪れ、次々興味が湧いてきた話②鉄道アクセス編

前回、愛知県に住む私が大阪万博会場へ53年ぶりに訪れたことにより、昔どうしても欲しかった公式ガイドマップ(会場絵地図)を手に入れたお話をさせていただきました。

そこに今の中国自動車道吹田料金所あたりに、「北大阪急行 万博中央口駅」と記載があるのを見つけました。当然今は存在しませんが絵地図には駅らしきものと電車が描かれています。

そしてもうひとつ、気が付いたのですが大阪モノレールが描かれていません。

今回、万博記念公園を訪れるにあたり53年ぶりですから当然、新大阪駅からのアクセスを調べました。当時は新幹線に乗ったことは覚えているのですが、そこからのアクセスは全く記憶にはありません。

調べると地下鉄御堂筋線(江坂から北大阪急行線乗り入れ)で終点の「千里中央」まで行き、そこで一旦外へ出て徒歩で大阪モノレールの「千里中央」駅へ。このモノレールで「万博記念公園」駅まで。というルートでした。

当然、今回はこの方法で公園を訪れた訳ですが、この時私は53年前もこの方法で万博会場へ訪れたものと思い込んでいました。でも絵図にはモノレールは載っておらず、逆に今は存在しない万博駅とそこへつながる北大阪急行線がある。

ということは、当時はモノレールは存在せず、絵図にあるこの北大阪急行の路線が恐らく万博開催中の期間限定のものだったのでしょうか。それとこの万博会場へ行く北大阪急行線の始点駅は当時どこにあったのでしょうか?

実はガイドマップの裏面には会場周辺交通図が載っていて、ちょっとわかりづらいですが、目を凝らしてよく見ると、北大阪急行線が千里インターチェンジ手前(今の千里中央駅に到着する手前)から右(東)へカーブして中国自動車道の上をなぞる形でそのまま万博会場まで伸びていることがわかりました。

万博周辺交通図(公式ガイドマップ)

なるほどそういうことだったのですね。
しかし、どうしてこの路線はそのまま残さなかったのでしょうね。
私はこのあたりの事情に興味が湧いてきて、ネットで検索してみました。
様々なサイトを閲覧させていただきましたが、特に下記のサイトで当時の経緯と事情が良くわかりました。

これらの情報を勝手に要約すると、

【大阪万博の開催決定にあたり万博協会は大阪市(地下鉄)、阪急、国鉄に対し、それぞれ御堂筋線の江坂からの延伸、阪急千里線から分岐線、国鉄茨木駅からの引込線の建設を打診したが、膨大な建設費がかかることや、大阪市は市営であるがゆえに路線を大阪市外まで延ばすことに難色を示し、3者とも万博閉幕後に採算が取れる見込みもないことから固辞。

紆余曲折を経ながら最終的には地下鉄御堂筋線を江坂から伸ばして万博会場までの路線を建設することになるが、地下鉄の延伸ではなく阪急、大阪府、大阪財界らの出資によって作られた新会社(北大阪急行)が運営する形を取り、千里中央(現在の千里中央駅ではなく、中国自動車道上に仮設の千里中央駅)から会場までは万博開催期間中のみ道路公団から土地を借りて期間限定路線を建設する。】

こんな感じでしょうか。乱暴なまとめ方で語弊を招く部分もあるかと思いますがご容赦を。

ちなみに写真の地図にも載っていますが、阪急千里線にも万博会場の西側に「万国博西口駅」という万博期間限定の仮駅があったようです。

私が最初に感じた「どうしてそのままこの万博線を残さなかったのだろう」という点については、万博会場は元々何もなかった所を造成した場所だったようで、万博開催が決定した頃はその跡地利用についてはまだ何も決まっていなかったようです。それじゃあ鉄道会社も建設に躊躇しますよね。

北大阪急行線が大阪万博のために出来たなんて、毎日この路線を利用していても若い方なら知らない方もいるんでしょうね。

私は前記事でも触れたように地図を眺めるのが好きなので、写真とかにおいての現在と過去の比較をすることにも興味があります。ただそれは自分が知っている場所だからこそであって、全く知らない土地の新旧比較を見せられても興味は湧きませんよね。

今回の大阪万博記念公園も愛知県民の私にしてみれば、普段は馴染みのない場所でしかも53年もの昔にたった1回しか訪れてはいなかったのですが、やはり万博という特殊なイベントであったことや、そのガイドマップの存在を思い出し購入に至ったことからとても懐かしく当時の事に思いを馳せることが出来ました。





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