見出し画像

古荘匡義『綱島梁川の宗教哲学と実践』

綱島梁川の思想について宗教思想に焦点をあてて考察したもの。綱島の場合、キリスト教だけでなく、儒教からの影響もあるという指摘があった。

驚いたのは『回覧集』の存在。私自身、高山樗牛の支持基盤として、「誌友交際」という概念を使って明治30年代の知的な関心を持った地方の青年たちが同人誌の交換を通じ親睦を深めていく様を考察してきたが、雑誌発行を目指した綱島が、最終的に文集を『回覧集』として残したことも、同じような共同性への希求として捉えることが出来るのではないかと考えた。

この点は、先日木戸雄一先生が「地方青年の多元的文筆活動」として、「文学雑誌と「文学的のものではないらしい」雑誌に、文学を語らう仲間がそれぞれ関わっている。」という明治30年代の現象を指摘されていたことと多分対応していて、文学だけでない、神秘的な宗教体験と地方青年たちとの間のつながりもあるような気がする(※小林秀三は『万朝報』理想団メンバーになっていて、新聞紙で名前を確認した記憶がある(確認したら明治34年10月3日の『万朝報』に載っていた))。いずれにせよ明治30年代文化史を構想する上での課題といえそうだ。


著者の古荘氏にはこの回覧集について色々論文や翻刻があるらしいので、さらに勉確認したら

あと、中桐確太郎が綱島と親しいことを知って驚いた。というのは、彼は福島中学で高山樗牛と同級生で、高山の少年時代の回想文も残しているから。

東京専門学校で、大西祝に習っていたということのようで、両者の意外な接点として、興味を覚えた(大西の書簡集にも確かに中桐の名前が出てくる)。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?