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仙石和道『大熊信行と凍土社の地域文化運動』

池田先生から本書を受け取ったときには正直驚いた。

2019年に逝去された著者の遺稿を、池田先生や友人のみなさんがまとめて一書にされたということだった。本書成立の経緯ならびに仙石さんの人となりは、友人の瀬畑さんの心のこもった紹介に詳しく書かれている。本書刊行に向けた並々ならぬ関係者の方々のご尽力に、ただただ敬服のほかない。

大熊信行は経済学者だが、戦時中、大日本言論報国会理事を務めるなどして戦後公職追放を受けた人物でもある。「自らの経済理論から総力戦体制を唱えた知識人」(p.3)という評価がなされており、「戦後は、自らの「告白」により、転向者として、批判的な評価を受けてきた」(同上)とされる。

それに対して、大熊が関わってきた短歌雑誌と地域社会の文化運動への関わり方を通して、大熊再評価を試みたのが本書ということになる。大熊の活動の根を短歌運動。富山や新潟の柏崎の文化運動との関わりで捉えようとしたものだ。未完成の遺稿ではあるので、大熊と地域運動の接点についてもっと知りたくなる箇所はあるし、実際には大熊の弟子たちの記述が多く、大熊に「狂った」仙石さんが密かに共感していたのも大熊以上にたとえば土田秀雄だったのではとか思う箇所もあったのだが、在地レベルまで下りて、地域の文化運動から大熊の思想の根を捕まえて来る仙石さんの構想は、本書において十分な成功を収めていると思う。

仙石さんは吉本隆明が奄美の図書館長をしていた島尾敏雄との対談の中で、人のために本を集めてそれを貸す図書館が何のために存在するのか本気でわからないという風の発言をしている部分がいたくお気に入りで、何かの雑談の折に、この部分を、同じ図書館情報大の院生にぶつけて議論を吹っかけているんだと得意げに仰っていたことを強烈に覚えている。吹っ掛けられた相手もさぞ困ったろうと私は相手に同情してしまったのだが、「図書館」というのが思考の自明の前提として、無条件に良きものと捉えられるのはいかがなものなのか、考えているあたりは、今かんがえても仙石さんらしい挿話だろう。

欺瞞や偽善、取り繕った話に対する違和感をずっと持っていた。そのことはp.253以下に出て来る大熊研究会で発表内容と無関係な話をし出した老人のなかに、周囲の戸惑いをよそに大熊を知りたいという必死さを見出して揺さぶられているところまで変わっていない。

池田先生や今井さんには、院生時代につくばで時代思想の会にも誘っていただき、確か中江兆民の美学思想について発表したのだが、それも文字にできないままになっている。もう15年以上前の話になる。

本当に一時期だが、私が修士のころ、仙石さんは目と鼻の先というか、隣のアパートに住んでいた。だから、コンビニ帰りにばったりあって議論をふっかけられることもあった。「わたしは越後にいたから長尾姓には反応しちゃうんですよ」と言われたことも思い返される。「長尾さん、橋川文三が好きならもっといろいろ読まないと」とか挑発的なことも言われたし、自覚もしているが痛いところを突かれていたわけで、その都度曖昧にヘラヘラ苦笑してる私は、仙石さんにはどう見えていただろう。苛立ったか呆れていたかはわからない。

就職して私が図書館に入った後、非番の土曜日に論文執筆のため雑誌を閲覧しに職場に出かけたら、カウンターで仙石さんにばったり会って、「図書館員になったなら、あなたみたいな研究の仕方をしてたらダメでしょう」と苦言を呈されて結構凹んだことも覚えている。それは図書館員についての職業倫理的な話だったのか、図書館員が研究することについての話だったのか、今となってはもうその意図を聞けないのだが、仙石さんには仙石さんの図書館についての想いみたいなのが、たぶんあったのだろうと、戦後柏崎の図書館史として読める本書の6章を読みながら考えていた。

もしかしたら仙石さんにとっては、こうした著書に図書館史という枠を当てはめられるのは本意ではないかもしれない。それでも、人々の作った文化の歴史を残すことも図書館史の役割の一つなのだから、戦後の再出発にあたって柏崎市立図書館をめぐる人々たちの想いや営みも、図書館史がちゃんと受け止めて行かなければ。そんな気持ちにもなった。

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