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「知の巨人」の時代

思うところがあって少々「知」という言葉の用法を集めている。
そのうちに「そういえば戦前日本の学者で「知の巨人」っていう形容をする人は見たことがないな。きっと戦後の用法なんだろうな」と思いをめぐらせた。

それでふと思いついて、NDL Ngram Viewerで「知の巨人」という単語を検索したら、1978年以前の用例に遡れないと知った。本当だろうか。

※念のためデジコレで調べ直したが、「未知の巨人」とか「ご存知の巨人軍」という用例はそれ以前にあるが、独立した用語としては確かにあまりなさそう。

Ngram Vierwerは日本近現代文学研究でも初出の検討を付けるのに有効と、先日、日比嘉高先生がNDLのウェビナーで紹介されていたとおり。

この言葉が78年に頻出するようになるのは、講談社の創業70周年記念で「人類の知的遺産」シリーズが刊行されるときに、その謳い文句で「この一冊で知の巨人の思想と生涯と著作のすべてがわかる」と書かれたことに拠るようだ。

「知識の」とか「学問の」ではなく「知の」という表記には、確かにある時代性が刻印されているといえるのかもしれない(私も最近、副題に「知」の物語という大袈裟なタイトルをつけた本を出したのだが…)

なおこの記事を書いたら早速以下のブログを教えていただいた。興味深い。


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