見出し画像

尾道の休日


西明石から新幹線に乗って福山へ。新尾道は町から少し遠い


尾道はこれで五度目になる。けれども、四度ともほんの少し立ち寄っただけだった。一度目は遠い昔サークルでの旅行で一泊したけれど商店街周辺を少し歩いて泊まった程度で忘却の彼方。二度度目は北九州から車で大阪へ帰るときに、ラーメンを食べただけ。三度目は自転車で広島へ向かうときに、夜に到着して翌朝早朝に出発した。四度目は、しまなみ海道を自転車で走るときに車を止め朝ご飯を食べただけ。何かと接点があるけれどいつも別のグループで、廊下ですれ違うだけの気になるあの子、といった風な町であった。ではあるけれども、その短いこの町との触れ合いの中で、朝の澄んだ空気だったり、昭和を色濃く残す町並み、狭い水道を進む船の趣ある姿など、どれも鮮やかな印象を受けていたから、晴れて小旅行の行先になったのであった。


ただの路の風景をふと思い出す時がある

山陽本線で尾道まで、と思ったが、おりしも先日の豪雨で鉄道も通行止めに。松永というなんとなく川西池田をほうふつとさせた駅で下車してバスにのることに。小雨の降る中、バスはお決まりのように時刻表通りには来ない。


さながら昭和のトリコロールといったところ


鉄板をはねるタレの音や踊る青のり。食べるを五感で楽しもう

目的より少し前のバス停で降りてしまった。右に千光寺の山が見える。潮の香りとアスファルトをひきずるトランクケースの無機質な音。「村上」という、とても人気だけど、小さくて地元の佇まいを決して失っていないお好み焼き屋で広島風のお好み焼きに舌鼓を打った。


海外の人々にもこういったローカルを覗いてほしい

昭和のノスタルジアと現役の商店街としての機能とを同居させているこの街を歩くと、「日本らしさ」以外にはなんとも形容しがたい一種の雰囲気を強烈に感じる。それは自分にとっては広島や尾道固有の横軸的なローカルさではなく、無国籍的な、映画の中にあったような「昭和あたりの日本」という縦軸的な、ステレオタイプとして迫ってくるものであった。


持光寺。お寺まで来ると観光客も少ないものだ

尾道に来たからには坂を上る。民家の間の細い路地の間を抜ければいくつかの寺院があって、その寺を抜けるとまた細い路地がある。中腹のお寺は終着点でもあり、かつその境内は単なる通り道でもあるから、なんとなく都市部の大きな寺院や、あるいは、集落のはずれの森の階段をのぼった奥にある寺院なんかとも違う、世俗的な雰囲気だったり生活への「馴染み」、敷居の低さを感じさせた。別にお参りしてる人もいないし、原付なんかも通ったりする。本来寺っていうのはこんな感じでいいのかもしれない。


路地っていうのはどこか建物の間に挟まれてダンジョン探検のような気持ち。
何がその先にあるのだろうという好奇心をくすぐられる


汗ばむ季節だった。坂を歩くのに疲れたら、置いてあった椅子に座って、猫たちがじゃれあっていたり、餌をもらえると思って足の下にじゃれてきたり、猫たちとじゃれあっているおじさんを見たりして休憩しよう。猫を通じて地元の人や観光客の人たちとお話をすることができたり。


天寧寺三重塔。あまりいいアングルがなかった

これぞ木造建築といった三重塔はちょっと時間をかけて細部まで見てみた。小さい頃には興味のなかったことだ。でも、今となっては、何を思ったかを覚えていない。
建築物を含む芸術作品を観る・鑑賞するときの態度としては、どうするのが正解なのだろうか。京都の寺院をめぐるとき、美術館にいったとき、芸術をみるということは普段の生活と違うものを見ることであり、そこから何か刺激やインスピレーションを受けて、想像の翼を広げられたときやその翼で普段の何の面白みもないような生活から脱出できた瞬間、あるいは単に、これがイラストされたグッズや写真を部屋に飾ってたまに見たいと思うことなのだろうか。何か感情に動きがあった時にはそれをすべて書き留めるべきなのだろうか。それとも本当に印象に残ったら自然と覚えていられるのだろうか。それはたとえ記憶に残っていても単に「すごかった」とか「きれいだった」といった言葉に時の経過とともに集約されてしまうのではないか。ただインスタにアップして、ただ「すごい」とキャプションすることは芸術作品の鑑賞という観点からみれば何かをしたことになるのだろうか。寺を見て美術館に行っても、1年後にはほとんど覚えてなかったとしたら何の時間だったのだろうか。ただ見るだけだったら、直接見るのと写真やウェブ画像で見るのと何が違うのだろうか。。。
芸術鑑賞なんてのは結局その人がどうしたいかによるのだろうな。


尾道の街並み。尾道水道と向島、山がちな地形に橋が架かり鉄道がとおり船が走り、
海沿いに造船所が建ち並ぶこの景色には人々の生活が凝縮されているような気がして好きだ。


シン・尾道名物といえば「おやつとやまねこ」のレトロかわいいプリン

山を降りて、尾道市役所の新しくなった庁舎のバルコニーに腰掛けると、水道を往来する船の航跡が太陽の光に反射していた。狭い海の向こうから造船所の金属音やサイレンのような音が聞えてくる。浜田省吾の若いころや父を歌ったいくつかの曲にもこんな工場が出てくるなということを考えた。旅先でののこういった街や自然の風景をただ眺めている時間は、何にも代えがたいものがある。


起伏の多い地形と海と山と人々の暮らし。
ここで映画を撮りたくなるっていうのは凄く共感できる

おのみち映画資料館。「東京物語」を以前見たことがあったが、他にどんな映画が撮影されているのかを知りたかったので入ってみる。
映画といえば基本的には①昔の②洋画とっ決めつけて名画を漁り観ていたのだが、評価が高いということで「東京物語」を観てみたのだった。そしてそれから日本の映画も観るようになった。戦後のライフスタイルの変化に伴う、家父長制や家族制度の解体を、ドライなコミュニケーションや諦念といった「日本らしい」感情描写と庶民家族的な視点が一貫されていて、これは世界に日本の映画のアイデンティティを発信できるに値する素晴らしい作品だと感じた。父と母が旅行に訪れた熱海で海岸の堤防沿いを歩くシーンがなんとも印象に残っている。
資料館自体は映画の知識が乏しいこともあって、そこまで楽しめるものでもなかった。


夕食は、かき左右衛門という海鮮屋さんで。生牡蠣には気をつけないとね


宿泊はSIMA INNというゲストハウスに。
外観はレトロな街並みだが、感度の高いお店やサービスも充実

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?