ニートによる現代の生き辛さに対する考察

こんにちは。

いきなりですが、筆者は最近ドフトエフスキーやトルストイを読んでおります。

皆さんご存知でしょうか?

私は最近までこの人たちに興味がなかったのですが、この人たちはどうやら政治が好きです。おそらく2人とも。

本日は、そんな2人の小説を読んでいてふと思いついたこと。私がここに書かせて頂くテーマ…

◯現代社会の生き辛さとしての政治の氾濫

を語らせて頂きますので、

1つよろしくお願い致します。


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さて、

かつてのロシアの文豪2人、その小説の中身によく出てくると私が勝手に思っているキーワードが2つあります。

1つが政治。

もう1つは高貴な人たち(現代でいう官僚のような立場の人々や貴族)。

まあ、登場人物も作者もとにかく政治が好きなんですよ。何でそんなにって思うくらい、国や世界の話をしますし、また個人の生き方を政治と結びつけます(後者が記事内で取り上げるテーマとなります)。

どういうことかと言うと、

主人公なり登場人物の社交性が高いことが多いんですね。つまり、彼ら(登場人物)の多くが貴族であったりするわけで、仮面を付けて人と接して生きているんです。

人を殺さないゴルゴ13というと語弊があるかもしれませんが、登場人物は普通よりも立派な人が多く、文豪による彼らの内面描写を読むことは勉強になること請け合いです。

…と、それはまあ余談になるわけですが、

本題もそこにあるのです。

つまり、私は彼らのそういった日常を読書を通して覗かせてもらっている中で、非常に自分のことのように感じたわけです。ああ、分かる。だとか、私はこんなに立派な人物たちには及ばないなあ…(私は27歳職歴なしニートですから)とか。

つまり、有意義な読書体験をしていたということになると思うのですが、まあしかし。

それってどうなのかな?と。

だって、私は貴族でも上級国民でもないし、

引きこもりがちのニートなわけです。

そんな奴が、仮面を付けて生きる大人の日常に引き込まれるのって変だと、そう思ったわけです。

そこでまあ、

先ほど書かせて頂いた、◯現代社会の生き辛さとしての政治の氾濫

という今回のテーマが関わってくるわけです。

このテーマはですね、

非常に説明がし辛く

私は27年働いてないのでこんな無駄な書く作業などやめてしまいたいのですが、もしかしたらこの記事で今月の家賃1万2000円支払い出来るかもしれないので、もう少し書いてみようと思います。


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このテーマ、本当に私の力では語ることが難しく、うまく説明出来るのか分からないのですが、一つに現代の高齢化社会を取り上げたいわけです。今回はですね、語りが煩雑となることを恐れまして、少子は外して、高齢化だけをお願いします。

トルストイの小説に、“イワンの死“というお話があります。これは、40も半ばの男だったでしょうか、彼が余命を宣告されどう生きるかというなかなか読み応えのある、おそらくトルストイが一生懸命考えて書いた作品だと思うのですが、今回はすいませんトルストイ先生ということで、ストーリーの方はポイします。テーマに関係ありませんので。

私が言いたいことはですね、つまり主人公のイワン。彼がですね、非常に現代でも通用する典型的な中年男性として描かれている点のことです。イワンは法律家でですね、私の調べた所では日本円で年収2000万円。優秀な、それでいてごく普通の内面性を持った中年男性として描かれているわけです。人付き合いをそつなくこなし、仕事に励み、家庭もある。読んでみると分かるのですが、“しっかりと仮面をつけた、世の中を渡っていくことを覚えたカッコいい大人“と捉える方も多いと思います。

何を隠そう私がそう思ったというだけの話なんですが……。しかしですね、私は今27歳で、40か50か詳しい年は今あやふやなんですが、この年上のイワンという人ほど上手に仮面をつけて生きてはいない。またやろうと思っても無理でしょう。10何年、経験の差があるわけですから。

つまり、何が言いたいかということなのですが、イワンは立派な大人だと思います。しかし、この立派な大人というのがですね、多過ぎるんじゃないか?と私はニートながらに現代社会に対して思うわけです。

つまり、高齢化社会で

イワンの年齢に達したいる人の数が非常に多く、

寿命の短い世の中よりも、あるいは若い人がそうでない者よりも社会よりも沢山いる世の中よりも、当然世の中の大体を知る人の数が増えているわけです。

つまりですね、

(つまりばかり使って申し訳ないですが…)

皆が自分を守る仮面を身につけて上手に生きているが故に、現代社会は一種の生き辛さを持っているのではないか、と私はそう思ったわけです。

まあほとんど世の中と関わっていない私が言っても説得力はないですが、しかし私の日常経験からしてもですね、仮面をつけて皆生きているなとやはり思うわけです。子供や10代や、或いは20代なんかと比べても、仮面をつけて人と関わることが上手い人の数が多いのではないかと。

嫌な言い方をするとですね、社会が上手く循環する最適数値があるとするならば仮面世代が流石に多過ぎるのではないか?と思うわけです。

例えば平均寿命が50だとするとですね、

まあそれはいくら何でも短過ぎるとおもわれるかもしれませんが。

しかし、仮面をつけることが下手な10代なんかが沢山いてですね、40、50の人間はちらほら。そんな世の中だと、みんなもっと下手くそな本音で生きておるだろうと。

そういう世の中はそういう世の中でまた問題もあるでしょうが、現代は現代でそういう所の欠如が、つまり仮面の氾濫による生き辛さが日常にまん延しているのではないか?という、そういう方向からのものの見方となるわけです。

今日の所と致しましては、そういうことをこの記事で提示したいこととして、また後日ということにしたいと思います。

本日の記事は以上となります。

図書館に行かねばならんもんでして…。

こんな何にもならない記事をやっとる場合じゃないわけですな…💦

最後になりますが、本日はお読み頂きありがとうございました。

———


(さて、果たしてこうして書き出したものの、私の実力で、ここから先記事としてまとめることが出来るのやら…。

この記事そもそもちゃんと読めるレベルなのだろうか……??)









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