【質問】智慧と慈悲の関係について【限定キャス】

 グーグルフォームより以下のご質問をいただきましたので、限定キャスにて回答というか、コメントをしようと思います。

一点質問をさせていただきたいです。先日のツイキャスで、智慧と慈悲の矛盾に触れておられました。『仏教思想のゼロポイント』を読んだ限りでは「智慧」というのはある種のサイコパス性のことで、「慈悲」というのは衆生の苦を思いやるということかと理解しています。「智慧」というのは、この世のものはすべて無常であり、執着するに値するものは何もない、ということで、人間が大事にしている愛情や欲望といった諸々の物語の生起を停止させることをいい、一旦「智慧(=悟り)」という境地に立った後に、あえて「慈悲」を発動させて、苦にあえぐ衆生に関わっていく、というのが仏教の在り方かと理解しました。ということは、智慧を得て慈悲を発動させている覚者は、本心では衆生の価値観について、「こいつらは本当にくだらないことで苦しんでいるけど、まあアホだからしょうがないよね」というスタンスで見ており、ある種の「ウエメセ」で接しているということになるのでしょうか(実際に、覚者は人としての最上位ではあるのでしょうが)。つまり、智慧と慈悲の矛盾というのは、覚者が「人の心を持っていない or 忘れてしまった(=サイコパス)のだけれど、めっちゃ優しい人」という存在であるという点にあるのではないかと考えているのですが、いかがでしょうか?

 このご質問について一言で答えるとすれば、「私としては、そのようには考えない」ということになります(つまり、『仏教思想のゼロポイント』に述べられた智慧と慈悲の理解はそのようなものではないと、私は理解しているということです)。そうすると、「では、ニー仏はどう考えるのか?」ということがもちろん問題になってくるかと思うのですが、正直なところ、ここは答えにくいというか、そもそも(少なくとも不特定多数が同時に聴くような場で一般的には)答えるべきではない話だろうと考えています。それにまた、当該の問題に対する直接的な「解答」は、既に『仏教思想のゼロポイント』の第七章において、端的に示してあるところでもあります。

 ……ということで、このあとに少しだけ、問題の所在について限定キャスを視聴される方々のために導入をやっておこうと思ったのですが、少し書いただけで「全体公開の場でこれを文章にするのはやめといたほうがいいなー」と感じてしまったので、まあやはり上掲のご質問に「回答する」のは控えておいたほうがよさそうだと、いま改めて確認するなどしました。

 ただ、例によって「これに答えないほうがいいと私が判断した理由・背景」については少しばかりコメントできるかと思いますので、キャスではそれをお話しようと思います。開始時間は、本日の21時からです。

(※録画視聴パスはこちらのエントリから取得できます。)

 ご質問にいわれている「先日のツイキャス」とは上掲のものですが、限定キャスの視聴パスは例によって同じですから、視聴希望でパスを未取得の方は、こちらのエントリからマガジンをご購読ください。ただし、上述のとおり今回のキャスは「回答」をするものではありませんから、そのことをご理解の上、ご検討をいただければと思います。もちろん、これも例のとおりですが、コメントでのご質問には、限定キャスですからできるだけ丁寧にお答えしますが。

 というわけで、今夜21時からの限定キャスで、お話しできる方はお話しいたしましょう。そういえば、たとえば以下のエントリなどについて補足したいこともないではないので、その話も余裕があればするかもしれません。

(※7月29日追記。キャス終了しました。録画は以下のリンクより。視聴パスは、上記のとおりこちらのエントリから取得できます。)

(※このあとに文章はありません。)

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