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鈍らせるのは酒だけではない

 To Doリストを黙々と片付けた一日。このところはずっとそうなのだが、やるべきことが立て込んでいると、余計な(自分が必要だと思って選別したわけではない)情報にダラダラ触れているような時間がない。そして、経験的にはよく知っていたことではあるが、そういう生活をしばらく続けていると、精神はてきめんに健康になる。

 仏教の五戒の中に「不飲酒戒」というのがあって、これは読んで字のごとく「酒を飲まない」という戒だと一般的には理解されている。ただ、たしかティク・ナット・ハンさんだと思ったが、この不飲酒戒を「マインドフルな消費」と解して、酒に限らず、また麻薬やギャンブル、さらに不健全な映画やテレビ番組やウェブサイトに至るまで、総じて人をアンマインドフルにする物質・情報の摂取を全て控えることと教えていた。

 これはパーリ語の不飲酒戒の原文においては、酒類を人を酔わせて「放逸のもととなるもの(pamādaṭṭhāna)」として禁じているからで、だから人を「放逸」にするものであれば、酒に限らず控えるのがこの戒の趣旨であろうと理解して、そのように教えているわけである。

 「放逸」を「マインドフルでないこと」、「不放逸」を「マインドフルであること」と理解することに関しては、『だから仏教は面白い!』に詳述してあるので、ご関心のある方はそちらを参照してほしい。

 ただ、こうしたややこしい話はさておくとしても、余計な情報を摂取しないことによって精神的な健全さが保たれるというのは上述したとおり経験的には全くそのとおりであって、数日間そうしたものから離れた上で久しぶりに雑多で刺激の強い情報群に触れてみると、自分がそれでどれほど疲れていたのかよくわかる。

 刺激というのは慣れてしまえばあまり感じられなくなってしまうものだから、情報によるそれも、洪水のように流れてくる音や文字の中に浸りきっていれば、さほどの影響も自身に及ぼしていないように思えてくる。だが、そこから意識して距離をとる時間を設けてみると、おそらくは多くの人が、そうした無秩序な情報の流入が自身のMPを少しずつだが確実に、削っていたことに気づくだろう。

 もちろん、「だからインターネットを捨てましょう」とか、そういう短絡的な話がしたいわけではない。服用量を変えれば毒が薬になるというのはありふれたことだし、「不健全な情報の摂取を控える」と言う人が想定する「健全」とは何かという問題もある。ゆえに、これはあくまで、最終的にそれをどう判断し処理するかは別として、とりあえず起こっている事態は可能なかぎり正確に把握しておいたほうがいいよねという、ただそれだけの話なのである。


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