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思想は役に立つ

 昨夜はものすごく久しぶりのゲーム配信などをしていた。しばらく言葉をアウトプットすることからは遠ざかっていたので、まあリハビリのようなものである。

 仏教には熏習という概念があって、香の匂いが衣に移って残るように、経験した事柄が心や身体にその影響を残すことを言うのだけど、こうしたことは普通にあることだと思う。語り続けていればその行為が熏習して語るモードになってくるし、黙っていればその状態の積み重ねが熏習して、黙るモードになってくるのである。

 俗に「よいサイクルが来ている」とか「悪いサイクルにはまる」などと言うことがあるけれども、これも一つには、そうした過去の行為や経験の熏習の結果が、まとめて出現している状態だと考えることもできるだろう。

 だから、「よいサイクルが来ている」時にもそこで調子に乗って乱れた振る舞いをしていると、後でツケを払わされることになるし、「悪いサイクルにはま」った時も、その現状はどうしようもないにせよ、そこで諦めずによい影響を残すような振る舞いを続けていれば、それは将来的には結果をもたらすことになる。いずれにせよ、現在の状態は過去の結果としてあるのだから、それは受け容れるほかないが、そこで自分がどう振る舞うかによって、未来をそれなりに変化させることは可能であるということだ。

 こういうのは「仏教的」な考え方そのものだが、こうした世界観に沿って生きることが私の実際の人生を助けてくれることは多々あったので、そういう意味でも、仏教の勉強と実践をしておいたことはよかったなあと思う。とくに、調子が悪い時にそれでも踏みとどまって人生をやっていくために、このような考え方が役立ったことは数知れない。

 そんなわけで、思想というのは「役に立たない」ものの代表のように思っている人も多いけれども、私としては、これほど実人生に有益なものも少ないと考えている。ただ、それが現実に効力を発揮するためには、思想は何らかの経路をとって「身体化」される必要があり、そこが欠けている思想は、たしかに「役に立たない」と言われるのも仕方がないのかもしれない。

 元号も改まって新しい時代になったことだが、私の関心がそのあたりに集中していることは変わらないので、今後も引き続き、そのへんを思考し実践していきたいものだと、また考えた朝なのであった。


※以下の有料エリアには、過去のツイキャス放送録画の視聴パスを、投銭いただいた方への「おまけ」として記載しています。今月の記事で視聴パスを出す過去放送は、以下の5本です。

 2019年2月28日 part1
 2019年2月28日 part2
 2019年3月8日 part1
 2019年3月8日 part2
 2019年3月25日

 5月分の記事の「おまけ」は、全て同じく上の5本の放送録画のパスなので、既にご購入いただいた方はご注意ください。

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