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ちょっと勉強をナメすぎなんじゃないか

 昨日のエントリでは、「基本的な知識と原則を確認した上で、そこからの論理的思考の帰結を意識化し、もって自身の対象に関する理解の筋道を明晰判明なものとしておく」ことの重要性について、具体例とともに詳述した。要するに、「自分の頭を使って考えておくことは大切ですね」という話なのだが、これは最近の一部のインターネッツ言論空間では評判の悪い主張らしく、「自分の頭で考える」というと、「専門知を軽視して勉強をしないということか! そういう自分が賢いつもりのアホがデマに流されるのだ!!」などといちゃもんをつけてくる人たちも存在するようである。私からすると「自分の頭で考えぬく」ということと「徹底的に勉強する」ということとを別事であると捉えているらしい時点で「わけがわからないよ」とぬいぐるみのようにつぶらな瞳で言いたくなってしまう事案なのだが、まあその種の方々の存在も多様性のあらわれということであろう。

 そんなわけで、積極的に「多様性」に配慮してゆきたい本noteとしては、「いや、勉強はしますよ。当然でしょう」ということを(購読者の方々にとっては必要ないこととは思うが、いちおう)補足的に述べておきたい。それが今回のエントリの趣旨である。

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