「世間から幸せに見えない限り私は幸せにはなれない」という信仰は不幸の元だ
どうもインターネッツを見ていると、世の中には人間の幸福というものをゼロサム、即ち、ある人がそれを得れば、別のある人はそれを失うような性質のものであると、理解している方々がそれなりにいるように思われる。私はそういう考え方はしないし、またこれが事実と論理に即した理解であるとも思わないのだが、そのように考える人たちからすれば、「誰かの幸福は誰かの不幸」であるということはこの世の真実そのものなのであって、具眼の士である彼/女たちは、その現実を直視しているのだということになるようだ。
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