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「思い」と「私」を重ねているうちは、人は自由になることはできない

 昨日のエントリでは「自分で自分を肯定するなんてことはできません」ということを書いたけれども、この話は過去エントリも含めて様々なところで既に複数回やってきたし、どうもやけに私はこの問題が気になるらしいということについては、なんとなく自覚があった。

 そこでしばらく沈思黙考してみたところ、たぶん私は、「自分で自分を肯定すべきだ」といった主張の背景におそらくある、「自分の心の動き(思い)は自分でコントロール可能である」という、(しばしば無自覚な)前提に対して、違和感があるのだろうと気がついた。

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