見出し画像

0.5歩だけ距離をとって

 長いことお休みをいただきましたが、ようやくの復活と相成りました。お待たせしすぎたかもしれませんが、リアル本務に注力していた結果ということで、どうぞご勘弁ください。

 ここ数ヶ月はいわゆる実務というか、形而下的な事柄に関するタスク処理に追われていたわけですが、そのような作業を続けてきてしみじみと感じたのは、「やはり形而上の問題と形而下の問題とは、統合的・一体的に考察・把握してゆくべきだ」ということです。もちろん、もともとわかっていたつもりのことではあるのですが、実際に自分がこれまで必ずしも人生の主題とはしてこなかった、世俗的で「実際的」な諸問題を処理する手続きを重ねてゆくことで、形而上のテーマに関する定見がなければとても対応できない(し、またすべきでもない)と思われる形而下の事案に突き当たる例が頻繁にあり、また形而下の具体的な実務の取り扱いにおいて、およそ世俗には関わることのないと思われていた形而上の論題が意外な形で役に立ったりすることもあるなど、「なるほど腑に落ちる、実感するとはこういうことか」と改めて思わされることの多かった、ここ最近の経験ではありました。

 易の繋辞伝に「形而上なるもの、これを道と謂い、形而下なるもの、これを器と謂う」と述べられ、また中庸には「道は人に遠からず」とあって、ともにたいへん有名な言葉ですが、「これは本当にそのとおりであるなあ」と、いまさらながらに日々頷いています。

 とはいえ、私がこのようなヴィジョンをもって眼前の事態を把握できるのも、かつて全霊をもって形而上の問題に力を注ぎ、そこで得られたものの一部は、星の道を切り広げる達成として既に公開も済ませたからであって、その意味では「やるべきことをやってこれた」己の人生の幸福を、それを助けてくれた周囲の人々への感謝とともに、また深く感じてしまうところです。

 もちろん、既に「けりのついた」問題に未練がましくしゃぶりつき、それにしがみつくことで人生の残り時間を「消化」しようとするようなことは、少なくとも私の好む生き方ではありません。ただ、全く別の(ように見える)テーマに取り組むにせよ、従前の問題解決によって得られた視点を忘れたり捨てたりする必要は当然ながらないのであって、むしろそれをいわば「足場」として活用しつつ、かつての問題をも全体として包摂するようなヴィジョンをもって、新たな大テーマを裁断してゆくことを考えればよい。そんな、当たり前というのもバカバカしいほどに当たり前のことを、「形而下的」で「世俗的」で「実際的」な作業を繰り返し、それに習熟して最終的には楽しめるようにまでなってゆく過程で、遅まきながら個人的に納得することができたという次第です。

 そんなわけで、毎日があっという間に過ぎてゆくようなここ数ヶ月ではありましたから、あまりSNSなども見ている時間がなかったのですが、noteを再開するということで久しぶりに眺めてみますと、相変わらず人々が「現実」(より正確に言うと、それぞれの人の認知・認識において、「現実」だと感じられているところのイメージ)に関する激しい「議論」というか、切ない欲望の衝突を繰り返しており、「世間(loka)だなあ」という、これまたいつもどおりの感想を懐きました。もとより私自身も日々の本務の遂行を通じて人々の「現実」との折衝を余儀なくされているわけではありますが、まあそういうのは「リアル」で既にお腹いっぱいですし、同様のお気持ちの方々もあんがい多いのではないかと思われますから、本noteではその種の「現実」と四つに組み合って泥仕合を行うようなことはできるだけ避けたいと思っています。このようにSNS等で多くの人々が激論の対象としている「現実」なるものは、実際のところ欲望によって色付けられた諸人のイメージであって、そのぶつかり合いに積極的に参与することは、必ずしも問題に関する如実の検討には繋がらないと、私は考えていますから。

 ただし、冒頭から述べてきているように、形而上と形而下の問題を一体的に把握してゆきたいというのが現在の私のスタンスですから、上記のことは、「現実」から背を向けて、徹頭徹尾、形而上の議論のみに終始しようという意図を述べたものではありません。そうではなくて、各人にとっての「現実」が互いに衝突するところから「世間」が形成されているのは事実ですから、そのことを無視するわけではなく、しかし「現実」と同レベルに立ってベタにそれらと叩き合いを繰り返すのではなくて、むしろそれらが成立してゆく機序と構造を徹見し、その背後に潜む問題点を剔抉すること。これが、本noteの今後の諸エントリで、私が進めてゆく作業です。なんのことはない、対象は異なっていても、スタイルとしては、これまでずっと私がやってきたとおりのことですね。

 当然ながら、このようなスタイルでこのような対象を扱って言説を紡ぐことはずいぶん独特な営みですから、読者(聴者)は選ぶことになるでしょうし、そもそもこの文章自体が何を言っているのかさっぱりわからないという方々のほうが、むしろ多数派であろうと思います。その上で、本エントリやこれまでの私が書き、語ってきたことに何か「引っかかった」り、「刺さった」りするところのあった方々には、ぜひマガジンを購読いただいて、またのお付き合いをいただければ幸いです。

 今月は月半ばからの再開となりますので7月いっぱいの更新分が上のマガジンの内容となります。再開前と同様に、平日は毎日の更新となり、加えてツイキャスも今月中に何度かやることになろうかと思います。マガジン購読でnoteエントリの有料公開部分の閲覧ができ、またツイキャスの録画と限定放送の視聴パスが付されるのも従前どおりです。エントリやキャスの内容は多岐にわたるかと思いますが、「“悟り学級会” に付き合うな」や「“虫化” しないための瞑想」といったテーマについては、このところよく考えていたことであったため、今月中にエントリとして出すつもりです。

 というわけで、半月ではありますが、今月もどうぞよろしくお願いいたします。なお、ご感想やキャス対談のご希望等のメッセージも、以前と同様にツイッターDMやグーグルフォームにて受け付けておりますので、そちらも是非お気軽に。


※以下のマガジン有料エリアには、今月配信するツイキャス放送(録画)の視聴パスを記載しています。このパスで視聴可能な動画URLは、配信があるたびに、順次以下に追記してゆく予定です。

キモ化する世界、勝手に限界づけ学級会のアホくささ等
うらしま左近さんとの対談(ルックバックと、当事者に映る世界について)
質問応答キャス(智慧と慈悲のこと)
月末の雑談(権利と鼻炎、漢文とおすすめ本など)

 7月のツイキャス(録画)視聴パスが記されているのは本エントリのみであり、今月の他のエントリには有料部分にもパスの記載はございませんのでご注意くださいませ。

ここから先は

72字
2021年7月後半のエントリをまとめたもの。記事の有料部分は全て読める上、踏み込んだ内容を語るツイキャス放送の視聴パスも入ったお得なセットです!

2021年7月後半のエントリをまとめたマガジン。当月公開記事の有料部分が全て読めるのに加えて、ツイキャス放送(録画)の視聴パスも入ったお得…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?