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【質問】陽明学のこと【回答】

 私にしては珍しく忙しい日々を過ごしているうちに、いつの間にか七夕も終わってしまいましたが、やっと少し時間がとれそうですから、今夜は限定キャスにて、いただいていたご質問にお答えしようと思います。

以前、ニー仏さんは陽明学に一番シンパシーを感じるというようなことを拝見した記憶があるのですが、ニー仏さんが陽明学のどのあたりにシンパシーを感じるのかなどを教えていただけたら嬉しいです。

 ご質問の内容は上掲のとおりで陽明学に対する私のスタンスに関するものですが、たしかに昔から、たとえば以下のエントリにあるような形で陽明学への言及はしばしばしていました。

私が俗人として生きるにあたって、自分の行為の準則として実際に採用しているのは、仏教よりもむしろ陽明学です。

 ここで大切なのは「俗人として生きるにあたって、自分の行為の準則として実際に採用しているのは」というところで、それが「シンパシー」かというと微妙なところだったりするのですが、このあたりの説明はすごく難しいので、現在に至るまであまり語らずにきました。

 説明が難しい理由は簡単で、「陽明学」なんて現代日本の一般の方々にいきなり言っても、「まずそれは何なのか」というところから話さざるを得ませんし、また朱子学や禅の文脈も(理論と実践の両面において)当然ながら大いに関わってくることになりますので、端的に前提が多すぎるわけです。基本的な知識に関して言えば、専門家による簡にして要を得た解説書も様々にあることですから、いまさら私が語るべきことでもないだろうと思いますしね。

 ただ、せっかくご質問をいただいたことですし、「私が陽明学についてたまに言及する理由を解説することが実に困難であることの背景にある構造」について語ること(既にややこしいですが……)はなんとかできるかと思いますので、今夜はそんな話をしようかと思っています。21時頃に開始する予定ですが、直前の告知は例によってツイッターのほうでいたしますので、そちらをチェックしていただければ。どうぞよろしくお願いいたします!

(☆放送終了後追記)

(※録画視聴パスは、7月1日のエントリより取得できます。)

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