ニートがお金欲しさに投稿する。初投稿胸くそ注意。ニートの定義・労働 ¥100はお気持ちで。全文公開です。

ニート・十五歳から三十四歳までの、家事・通学・就業をせず、職業訓練も受けていない者。

労働・からだを使って働くこと。
(経済学)人間が自然に働きかけて、生活手段や生産手段などをつくり出す活動のこと。
人間と自然との関係にかかわる、ある種の過程を「労働」と呼び、人間が自身の行為によって、自然との関係を統制し、価値ある対象を形成する過程を「労働」と呼ぶ  ウィキペディア参照

僕は上の言葉の通り家事も就業も職業訓練もしていない。ニートといっても様々な状況、要因でその現状に至っていると思う訳だが、僕といえばまず、働きたくない。この1点からニートとして生きていこうという結論に行き着いた次第。

ニートは良くないという人ももちろん居るだろうし、バカなこと言ってないで働けよという人も居るだろう、がそんな人たちの意見はもう、聞かないことにした。自分が何をしようがそれでいいじゃないか。嫌なことはしない。必要の無いものは持たない。親のすねだろうがなんだろうがかじる。自分の気持ちに正直に生きる。と決めたんだから。

僕が働かずになんとか生きているのは良く言えば親のおかげ、悪く言えば親のせい。親が衣食住を与えてくれているからです。親の経済力が僕の労働意欲を無くしていった1つの要因だと思っている。父はワーカホリックと言えるほど仕事が好きなんだろうなと。もちろん働いて欲しいというような事も言われるし、親が死んでしまえば生きていくのに難儀するのは確実。

でも、僕は生きている。ニートになるべくしてなったと思えるほど僕の頭の片隅に、ずっと居続けていた働かないという人生の形が遅ればせながらやってきた。

気づくのが遅すぎた。高校入学から、勉強はしなかった。入学時100/300位以内だった成績も毎年大幅に下がり、卒業時は下から数えて20人とかそんな気力の無い人間だった。何の目標も無く適当に選んだ専門学校に進学し、就職も学校で紹介された社員2人の小さな工場に就職。働く意味が分からな過ぎて3か月もせずに辞めた。この時の僕はまだ働かなきゃいけない、何とかしなきゃという思いのほうが強かった。その後、職安にも行った。正社員登用のある職場に契約社員で就職できた。

9時間が長すぎる。ほとんど定時であがれたし、残業代ももちろん出る。ボーナスもあった。地元の人なら知ってる1営業所に従業員20人前後のグループ企業。手取り20万、ボーナス有。もっと悪いところはいくらでもあるなかで至って普通の条件だったと思っている。

でも、長すぎる。1日24時間の内、通勤等含め仕事の為に毎日10時間は拘束されることになる訳で。自分で使える時間が少なくなるのが嫌だった。長い、長すぎる。

なんとか5年働いた。辞めたのは正社員の話が出てきた時、25歳。このまま正社員になっていいのだろうか?自分には未来が見えなかった。労働意欲は相変わらず少ししか無く、このまま一生とは言わずとも何十年も働くのかと思うとげんなりした。職場環境は悪かったとは言えないが、僕はストレスを溜め込んでいた。追い打ちをかけるように感じていたのは、新しく配属された所長が嫌いだったこと。顔も見たくない、こいつの下では働けない、そう思っていた。

今日からニート。ここから、行き当たりばったりで先のことは何も考えずに仕事を辞めてニート生活が始まった。この時は清々しい気持ちだった。これから何をしよう、好きな時に起きて、何をするでもなく毎日をただボーっと無駄に過ごす日々。楽しかったのは最初の2,3か月だけ、すこし考えれば誰でも分かるようなバカな男。たいした貯金も無く目的があって仕事を辞めたわけでは無かったので家に居るのが苦痛になった。また、働かざるを得ない状況になってしまった。

1度目のニート生活は儚くも2年ほどの月日で終了した。単発のアルバイトや、居酒屋、大工仕事、PC工。何か働かなくてもいい方法は無いかと思いつつも、仕事したあとは何もやる気が出ない、、言っちゃ悪いがどの仕事も大変で、賃金が安いか、キツイか両方か、って感じでよくこんな仕事続けられるなこいつら、くらいに思って働いていた。自分でも嫌な奴だなって思うくらい気持ちが荒んでた。職を転々として、得たものは荒んだ心。

最後に働いていた職場は連絡もせず、無断で辞めてきた。この時にはもう、他人の事なんてどうでもよかった。自分には労働という行為は無理なんだ、いっそのこと死んだほうがいいと思っていた。死ぬ勇気すらないクソ野郎だ。ニート生活に入る前はひどい有様だった。クレジットカードでお金を借りられるだけ借りて、好き放題に使ってやった。もちろん返すあてもない。自分の行動に責任も何もない。実家に戻り部屋に引きこもり、1年くらい引きこもり生活をした。

2度目のニート生活が始まる。部屋からも出ず、風呂も入らず、1日中スマホを見るだけの生活。部屋は臭いが付き、およそ人とは言えないような生活をした。良かったこともある。1日1箱吸っていた煙草を辞めれたし、煩わしい人間関係は一切ない。スマホや車、趣味のものや友人関係、全て必要の無いものだと感じることができた。元々たいした関係があったわけでもなく、自分の人生を邪魔するような人達とつるんでいた、と言う事も有るかも知れない。

今でこそ、部屋にあるのはPCとモニター。ベッド、衣服と爪切りやノートなどの小物が少々有るくらいだ。今?流行りの断捨離、ミニマリストもこんな感じでしょうか。

家族との会話も返事を返す以外ほぼしない。とにかく自分と向き合う時間が多くてやりたい事が出来て快適だ。話はそれるが、コロナ禍の騒ぎようが不思議で仕方ない。2,3か月家に居るくらいで何が不満なのか。自分の時間が出来ていいじゃないか。

今現在もニート継続中の僕は、親の庇護の下。飯を食い、毎日パソコンに向き合ってああでもない、こうでもないと自分の興味のある事ばかり漁っている。十年前、計画的にニートの道を進めていたら今はもっと素晴らしく楽しかっただろう。それでも、不幸とも全く思わないしみんなももっと、働く事の意味を考えたほうがいいと思うよ。否定するわけじゃなく、何のために働くのか、人生の大半を労働に費やしちゃいけないよ。


僕が今に至るまでの考え方の後先

労働しか知らない人たち。学生時代アルバイトしている友達や兄を見て思っていた。そんなにも欲しいものがあるのか?勉強して、バイトしてバイクを買っていたり、ブランド物の財布を買っていたり、僕には分からなかった。そんなに欲しいものなのかと。バイクなど実用性のあるものならまだわかるが、どうすんだそれ。って感じ。学生時代から時給で働く事を覚えて、社会に出てからも働いた先にあるのはある程度、上限の決まってしまった給料のもと働き、30年の住宅ローンを組む友人知人。そんな型にはまったような生活がほんとに幸せなのか?と。

勉強していい大学とやらを出た人も等しく働いていて、年収1000万だといきって居る人がいる。やっていることは大差ないように思う。かく言う僕の父も新宿のオフィスビルで東京の夜景に貢献していた。父が働いて得たものは母と4人の息子と地元に家を二軒。今幸せか?なんて口が裂けても聞きたくない。お金なんて無くても幸せっていう人も居るが、大金を持ってる人が使う言葉ですよね。もし、お金持ちが言うならそうなんでしょうね。

生活や環境を良くするためにみな働いているんだろうが、数十年前とやっている事は一緒じゃないか。労働時間は減らず減っているのは賃金のほう、どうして副業をしなきゃいけない状況になってるんだ。素人考えではあるが、経営的にも破綻しているんじゃないかと思ったりもする。

目指してきたものは何なのか。人が楽をする為、生活を豊かにするためじゃないか。生活の中心に労働があってはいけないと思う。

3000文字って大変、疲れたのでいったん終わり。



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