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大人こそ勉強した方がいいと思った話

こんにちは。ねずピカです。
普段はしがない会社員をしつつ、OTBのYouTubeチャンネルにスーパチャット(※投げ銭)で、ネタを送り続けてるヤバイ奴です。
普段から外に出ない根っからの陰キャインドアな男子です。
そんな私の趣味は勉強なんですよ。変ですよね、でも大人こそ勉強することが大事だなと思うんですよ。では、なぜ大事なのかつらつらと徒然なるままに書いていこうかと思います。

理由その1 圧倒的成長が見込める!!!!!!

いきなりバカ丸出しの見出しですみません。でも理由は(一応)あります。
「日本人の学力のピークは18歳(大学入試)」という言葉がありますが、あながち間違ってないと思います。大学に入ってしまえば自由に色んなことができます。ある人はアルバイトに精を出し、ある人はサークル活動に精を出す。またある人は、素敵な異性と出会いor別れに打ち拉がれてる場合もあります。別に「やるな」と言ってる訳ではなく、むしろやった方がいいです。しかし、勉強に割く時間が圧倒的に少なくなります!
社会人になってしまえば、もっと顕著になります。
毎日朝から晩まで働き、華金になったら飲みに行き、お休みの日はゆっくり昼まで寝る、みたいな生活が多いです。人によっては家族を持つ人も出てきます、独り身よりもっと時間が取りにくい状況です。
精々やったとしても、昇給のための資格試験ぐらいじゃないでしょうか。
何が言いたいかと言うと、「ライバルが全然いない状況で自分が勉強すれば、差をつけることができる!」ということです。
もっとくだけた言い方をすれば、超強烈な個性が手に入ると思っても差支えないです。
本30冊読むだけで、知識人・博識・物知り扱いしてきます。
マジで(経験談)

理由その2 思考の幅が広がる

最近、エコーチェンバーという言葉がチラホラと聞くようになりました。
「なんだそれ?」という人のために、言葉の意味を確認してみましょう。

エコーチェンバー現象(エコーチャンバー現象、Echo chamber)とは、自分と同じ意見があらゆる方向から返ってくる「反響室」のような狭いコミュニティで、同じような意見を見聞きし続けることによって、自分の意見が増幅・強化されることを指す。ツイッターなどのSNSや、インターネット掲示板など「同じ趣味・思想の人とつながることができる」場で起こりやすい現象だ。

IDEAS FOR GOOD 社会をもっとよくする世界のアイディアマガジン(https://ideasforgood.jp/glossary/echo-chamber/

TwitterなどのSNSに限定されてるんですが、リアルな対人関係でも言えることだと私は思います。
あくまで私の経験談なのですが、サラリーマンをやってると「なんでこんなに似た者同士が集まってるんだろ」と疑問に思います。そして、その似た者同士の考えを強化するために研修なども行います。考えてみれば当たり前の話だと思います。会社の目的は業績を伸ばすこと、その目的達成には社員が必要なこと、できれば社員の考え・思想が似た者同士の方が仕事がしやすいこと、そのために採用活動してると考えれば合点がいきます。ママ友とかクラスメイトとかも似た者同士で集まりますよね。
何が言いたいかというと、「エコーチェンバー現象は凄く身近な場所でも起きている!」です。
そうした身近なエコーチェンバー現象から守るために勉強は重要だと思います。例えば、「Aさんのこの主張、敢えて誇張して言ってるんだろうな」とか「Bさんの言い分、おそらくCさん嫌い(贔屓)で言ってるんだろうな」など、情報を足し算引き算しながら人の話が聞けるようになります。もっと平たく言ってしまえば、一色に染まらずに済むということです。

理由その3 自分のちっぽけさを知れる

私は歴史が好きで、歴史の本なら結構な数は読んできたなと自負してますが、そんな私でも「へえ、そうなんだ」と思う場面は何回もあります。
その度に「自分が得た知識なんてちっぽけなものなんだな」とも思います。
大人になってしまえば、そんな経験滅多にないです。
後輩や部下からチヤホヤされたり、新卒1年目だったら就活生からチヤホヤされと自分の現在地を客観的に確認出来づらくなってきます。
「自分には知らないことがたくさんある」こうした経験を都度することが非常に重要だと思います。私は、中島敦の『山月記』が凄く大好きなんですが、今でも(だからこそ?)大事にしたいシーンがあります。

己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨せっさたくまに努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍ごすることも潔いさぎよしとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為せいである。己おのれの珠たまに非あらざることを惧おそれるが故ゆえに、敢あえて刻苦して磨みがこうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々ろくろくとして瓦かわらに伍することも出来なかった。

中島敦『山月記』より

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」だけ書き出すのも何だったので、シーンごと抜粋しました。高校生の時の私は「ある日虎になってしまった話」ぐらいにしか思ってなかったのですが、大人になった今凄く刺さるなと思います。
「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」を持った人は沢山います。
この物語に出てくる李徴は「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」のせいで、ぶくぶくと自意識だけが膨れ上がり、やがて虎になってしまいます。
そんな虎みたいな、自意識だけが膨れ上った人にならないために、勉強して軌道修正していきたいです。

ふわっとした抽象的なことばっかりダラダラ書いてすみません。
今日はこの辺で。

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