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カード 027 迂回路

027迂回路

カード 028 一瞥体験 へ

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このカードは 027「迂回路 」です。
このカードの内容は、カード 010「逆行の旅」からカード 013「共鳴」までを、別の角度で可視化しています。

生命が、さらなる乱数を求めて意識を生み出しました。
そこに左脳が配されたのち、意識が言葉を生み出し、認知のなかで世界を切り出し続けます。
あれは山。これは木。これは葉。これは葉脈。これは…。
この切り出しを行っている主体として、わたしという意識が強くなります。
認知による世界の切り出し
+言葉による思考
+わたしという主体の意識の強化
は、周囲に形作った社会・文化・文明によりさらに加速されます。
わたしという個は、この数十年だけでも、それまでより激しく重い責任を課せられています。幼い年齢から「お前は個としてどう生きるのだ」という問いを社会に突きつけられています。この先もそれは加速していくでしょう。

それは確かに「自由」ではありますが、そもそも左脳と思考がどこまで個という重責に耐えられるか、未知の領域です。もしかすると、現状が限界かもしれません。もう少し先まで耐えうるかもしれません。

けれども、わたしたちにはもうひとつの道があります。
生命に還るのです。
そこにはつながりがあり、個では思いつかない360°の広がりの発想があります。意識は再び生命力を注ぎ込まれ、いきいきとし、灰色の世界に鮮やかな彩りをもたらします。ここにいていいんだという安心感に包まれます。
わたしたちはそもそも、生命だったのです。生命ぜんたいのために、ぜんたいの一部としてチカラを尽くす、そんな在り方があります。
ただ、直接そこへ戻るには、意識の隔壁が立ちはだかります。
思考では生命を捉えることはできません。けれども思考は関係性を理解しようとして、自動的に生真面目に取り組んでしまうのです。
それはなんだろう?どういうことだろう?どんな意味があるんだろう?
そして結局、思考による意識の隔壁を強化するだけに終わります。

そこで、迂回路を行くことにしましょう。
迂回路は「神経」です。「身体」です。そして小難しく考え続ける左脳機能を笑い飛ばす、子どものような遊び感覚です。
神経は、おなかを意識することでつながることができます。
身体は、動くことでよりつながりやすくなります。
歩いたり、踊ったり、全身で笑ったりすることは、神経を元気にします。
神経を元気にしたら、その方向に思い切って人生を乗せてしまいましょう。
どんなことも、おなかにたずねる。
生命がそこにいること、答えてくれることを信じきる。
思考の代わりに、神経を使い始めましょう。考えず、疑問はおなかに投げ込むのです。(空に放り投げてもいいのです)
ただ、左脳のような回答スピードは出せません。
問いに対して生命の響き返しがあり、それが神経→右脳→左脳→あなたまで翻訳されてくるのに、時間がかかります。
一日、二日、三日、待ってみてください。いくつかの経験、記憶、情報がくっついたカタチで、思いがけない答えが身体のなかにあらわれます。
そしてそれは、不思議なほど納得がいくものなのです。

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